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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

祝福生活の3段階ー特に2段階目の意義について

2015/08/03
永遠に生きる 1
20150803 

久しぶりの清平修練会でした。
清平に行く時、いつも不思議に思うのですが、
霊界に関わる出来事があったり、そういうみ言葉を読んだりします。

普段、あまり妻を敏感に感じない私を見ていて、妻は
「この時がチャンス」
と思うのかも知れません。

今回も、行きながら、「聖和」最新号を最初から最後までほとんど読みました。
聖和家庭の証が9つ収められており、どの証も素晴らしく、教えられる内容も多くあります。

その中でも特に参考になったのが、777双家庭の男性(A氏) の証です。

この方は奥様を霊界に送ってまだ2年ほどの方ですが、
「聖和の恩恵」
というものをとても深く体験しておられるようです。

聖和も「祝福」と呼ぶべきものだという理由が少し分かるような気がします。


妻が聖和した時、私は途方に暮れ、気がかりもありました。

「妻の実体がないのに、夫婦の愛をどのようにして完成できるのだろう?」
ということです。

しかしA氏の証を読むと、そのような心配はほとんどする必要がないという気がしてきます。


人生全体は、胎中時代、地上時代、霊界時代の3段階になっています。
その中の第2段階である地上時代がとても重要です。

それと同じように、我々の祝福生活も3段階に分けられます。


第1段階:この世で祝福を受けて2人一緒に生活する段階です。

第2段階:夫婦のどちらか一方が先に霊界に行って、夫婦が地上と霊界に別れて暮らす期間です。
この段階の夫婦を「聖和家庭」と呼んでいます。

第3段階:夫婦が揃って霊界で暮らすようになる段階です。


私はこれまで、第2段階の意義をあまり深く考えてみたことがなかったのですが、A氏の証を読んで啓蒙されました。

第3段階こそ、我々の祝福が実って、永遠に幸福な生活が実現し続く段階でしょう。
しかし、そのためにもその前の第2段階がとても重要な意味を持っているのではないか。
そのことを考えさせられたのです。


第2段階は祝福の夫婦に限ったことではなく、どんな夫婦でも大抵はこの段階を通過します。
2人が同時に亡くなるということは、普通ないからです。

ところが、祝福の夫婦に特殊なことが、ここにあります。
霊界と地上に別れても、お互いに深く交流することが可能だということです。
その意味で、祝福家庭はこの期間「霊肉祝福家庭」とも言えます。

この期間にどのような夫婦の愛の交流をするかということが、第3段階の生活にかなり大きな影響を与えるのです。
祝福生活の3つの段階は、それぞれ創造原理によって、明確に意義付けられているもののように思います。

第2段階の前提は、もちろん第1段階です。
この時にどんな夫婦愛を作るかが重要です。

愛が深ければ深いほど、第2段階の最初には、大きな喪失感と悲しみに襲われるものです。
しかし、しばらく経つと、次の次元に入ります。

霊界の相対者が夢に現れたり、あるいは直接やってきたりして、
「霊界は素晴らしい。私に悲しみはない。地上の何倍(あるいはA氏によれば何万倍)も活動できる。あなたも悲しむ必要はない」
ということを教えてくれるようになるのです。

A氏の証によると、霊界の夫人は、もし可能だとしても(実際には無理ですが)、二度と地上には戻りたくないと言っている。
それほどに霊界は素晴らしいというのです。

おまけに今では清平を通して霊界の修練会を経て、素晴らしく磨かれ、若返ってしまうので、地上で知っていた姿よりも相当に美しく、思慮深いようです。

そのように、大きく変化した配偶者との交流が始まるのが第2段階の特徴です。
それは第1段階の地上生活では体験したことのない、実に刺激的で、心霊的な成長を急速に促す体験の連続となります。


ここに、第2段階の祝福生活の意義があると言っていいようです。

霊人は肉体がないだけですから、それさえ越えられれば、後の条件は第1段階よりもむしろ有利なのです。

こういうことが露わになればなるほど、「祝福家庭」というブランドの魅力は、今後、
「垂涎の的」
と言ってもいいほどのものになっていくのではないでしょうか。



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2015/08/08 (Sat) 12:16