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青年が復帰すべき最も大切なものは何か

kitasendo
20150708 

本部の広報局から出版された
『統一原理と親孝行』(澤田拓也著)
は著者が開いてきた「親孝行講座」の内容とともに、その講座を受けた青年たちの証が収録されています。

私自身も青年の時に伝道されて以来、かなり長い期間にわたって親との間に信仰ゆえの確執が続いた体験を持っています。
今では父は他界し、80を過ぎた母と毎晩書写と訓読を一緒にできるようにはなったものの、この本を読んでみて、改めて考えさせられる点がありました。

若くして原理に触れ、信仰の道を出発する青年には、さまざまな活動が待っています。
伝道も夜遅くまでやったりして、睡眠時間は短く、昼間は毎日眠くて仕方なかった記憶が私にもあります。

しかし、そのような活動の忙しさの中でも、青年はどんな道を行くべきか。
復帰すべき最も大切なものは何なのか。

そのことを考えさせられたのです。

証をしている青年のほとんどは、深刻な悩みを抱えています。


小さい頃から父親と疎遠だった。
兄弟の仲が悪かった。
親を尊敬する気持ちなど、全くなかった。
.........


そういう青年たちが教会に出会って、その信仰を親に告げると、ひどく反対されたりして、それまで以上に溝が深まる。
しかし、青年の課題は、そういう親との関係を修復することにこそある。
伝道活動や教育活動、ボランティア活動など、さまざまな活動がある中で、青年の課題の第一義は「親子関係の修復」にある。

そのことを感じました。

既婚の婦人が伝道されれば、その人の課題は、妻として夫との関係を修復することであり、母として子どもをいかに神様に導くかというところにあります。
しかし青年の場合は、子どもの立場から親子関係を修復する責任が負わされるのです。

原理から考えてみると、人類最初のアダム家庭で、その家庭はひどく壊れたのです。
夫婦関係が先ず壊れ、次に親子関係が壊れ、最後にはその結果として兄弟関係が壊れて殺人事件にまで発展しました。

我々はみ言葉を聞いた時から、このような壊れた家庭を修復していく責任を負うようになるのではないでしょうか。

私の悔いは、父親との関係が最後まで十分に修復されないままだったことです。
しかし、この本に載った証しを読むと、羨ましい気がします。
良い指導を受け、それを実践した結果、思いがけないほどに家族関係が修復された証しが多いのです。


実践の中でもその中核をなしているのが、

① 親への敬拝
② 親への手紙

の2つです。

手紙については昔から文先生のご指導がありました。

「10日に一度は親に手紙を書きなさい」
というものです。

しかしこの方法に、①の敬拝が加わることによって、大きな相乗効果を生み出しているようです。

親に敬拝するといっても、目の前でする必要はありません。
青年の場合は親元を離れて暮らしている場合も多いし、むしろ目の前ではなく、親の写真に向かって敬拝するのがいいのです。

写真ならいつでもできるし、無言で応じてくれます。

ところが、この写真敬拝が、やってみると心を変えるのです。
続けているうちに、自分の目が覚めて、それまで気がつかなかった親の良さや親の愛に気がついたりするのです。
そうすると、親に書く手紙にも心がこもるようになります。

それを受け取った親は感動し、涙を流し、子どもからの手紙を待ちわびるようになる。
まさしく、文先生が予言された通りの現象が起こっていくのです。


青年がこのようにして親や兄弟との心情的な関係を修復することに、一体どんな意味があるのでしょうか。
彼(彼女)が間もなく始めるべき結婚生活の内的な準備を整えることになるのです。


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統一太郎

私はこの敬拝(土下座)の様なものは非常に良くないと感じます。

された方は傲慢になり、した者を所有物の様に感じてしまい。した方は人の人間に格差を感じる様になります。
土下座をされた時、人格者ほどそのような事はなさらないで下さいと自分もひざまつき、偉そうな人ほど踏ん反り返ります。

2015年07月09日 (Thu) 09:54
教育部長

統一太郎さんへ

私は敬拝と土下座とはだいぶ違うものだと考えております。
日本の教会では真の父母への敬拝として習慣化されたので、特別のように思っていましたが、敬拝は元来韓国の風習では、親への挨拶です。
敬拝を通して、親子の情が通じ合うというのが敬拝の本義だと思います。

2015年07月12日 (Sun) 08:08
統一太郎

なるほど。それは良いと思います。
しかし私は自分の子供には土下座敬拝はやらせたくありません。
せめて腰を折る敬礼だけに止めておきます。

2015年07月12日 (Sun) 08:29
kitasendo
Admin:kitasendo