先生は自分を再創造した
先生には、先生がいません。神様も、先生になれませんでした。神様が先生になっていれば、祈る人はすべて先生になっていたはずです。先生が先生になれたのは、先生自身が先生にしたからです。....
それは再創造です。神様にできるのであれば、あっという間にしていたでしょう。
先生は、17時間も祈ったことがあります。普通、12時間以上、夜を明かしながらします。痛哭の涙で綿のズボンがぬれ、それを絞れば水が出てくるほど祈りました。
遊び半分や行楽気分で進めてきた統一運動ではありません。
(『天聖経』216-217)
文先生は、自分で自分を先生にした。
そのために、毎日12時間以上、時には17時間も祈祷したというのです。
先生になっただけではありません。
真の父母になり、真の主人にもなった。
そのようになったことを「再創造」だと言われます。
何を12時間も祈ったのか。
どのような道をたどって真の父母、真の主人になっていかれたのか。
その具体的なことは、いろいろなみ言葉を渉猟しても、私には分かりきりません。
ただ、そのようになっていかれた方がどんな生き方をされたかについては、分かるところもあります。
例えば、
「先生は30歳まで、お腹のすかない日はなかった。お金がなく、食べ物がないからではない。30歳まで、自分で服を買って着てみることができなかった。哀れな人々を救ってあげるべき責任があることを知っていたからである」
と言っておられます。
再創造というのは、祈祷によってみ言葉を取り戻すことだけではなく、取り戻したみ言葉の通りの実体になっていくことだということが分かります。
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