皆さんは信仰者ではないんです
皆さん、責任者です。
信仰者ではないんです。
絶対責任をもって侍らなくてはならないこの時代。
侍るというのは、敬う、尊敬する、貴重視する。
自分よりも(相手を)絶対に重んじる心。
この関係が切れたら、可哀想な路程を行きます。
地上でも気の毒だし、霊界に行ってもそのまま同じ(姿で生きるよう)になる。
地上の生活をどうすべきかということを、私たちが初めて真の父母によって悟りました。
これを否定する人はない。
宗教もこれを否定できない。
哲学もどんな主義も否定できないが、共産主義だけはこれを否定した。
だから、滅んでいきました。
民主主義が滅ぶのも、それが関係を重んじる主義ではなく、勝手が多いからです。
みな崩すための主義です。
だから、民主主義もなくなります。
この時代は、絶対的な真の愛の時代にきたから、絶対服従、絶対愛、絶対侍る。
2000年からは絶対真の愛を所有する責任者になる時代です。
祝福は、絶対に家庭に侍るための祝福です。
これを考えて、今までの自分の生活を反省して、誰と絶対関係を責任持つべきかを今悟ったのなら、早く自分の位置を決めないと、さまよいます。
自分の責任をはっきりと知らないとね。
今は信仰時代ではない。
絶対責任を実践すべき時代です。
関係を重んじて、朗らかに成長すべき人間です。
関係が悪くなったら、悲しくなる。
生まれてから死ぬまで、一生そうです。
絶対関係の中で勝利の生活を通過しなくてはならない私です。
良心は侍る人の良心です。
相手の良心であって、自分の良心ではない。
もちろん、この肉身も自分のものではない。
創造主の絶対原則の私です。
「私」というものは1%もないのです。
自分は主体者を喜ばせるべき自分です。
侍って、愛すべき自分です。
簡単なことなのに、それを知らなかった。
責任を知らなかったんです。
とても錯覚していた。
精神病だったんです。
自分を肯定するのは、どれほど精神病ですか。
自分が自分でないのに、
「これは自分だ」
と考えている。
毎日ぶつかって、不平、戦い。
一瞬も安定出来なかった人間でした。
「絶対服従はしたくないんだが、どうしたらいいか? 自分のための生命なのに、なぜ為に暮らせと言うんですか?」
と思いますか。
(李耀翰先生講話 2012年5月)
★★★
信仰時代というのは、堕落性が強く残っているので、本性の生活が難しい。
本性が堕落性が闘って、克服しようとする時代です。
しかし2000年以降はそうではない、というのです。
信仰の時代ではなく、責任の時代。
誰が自分の主体者かということを悟って、絶対に侍ることによって、自ら成長するという責任を果たすべき時代だというのです。
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