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良心は自分のものではない

kitasendo
20150415 

良心を誰の良心と思って暮らしているか。
良心は自分のものではないのに、自分の良心と錯覚している
誰の良心か。

自分は誰と関係を結んで暮らす自分か。
それをまずはっきり悟らないといけない。 

自分の良心はどんな内容を持った良心か。
どんな事情に責任を持った良心か。
何のための良心か。

この関係によって良心は、自分の事情による良心なのか、主体者の事情に責任を持つ良心なのか、決まる。

良心をまず確かめよ。

子どもの時は、お母さんを中心とした良心。
父母との関係の中での良心は嬉しいですよね。
関係が切れた良心は嬉しくない。

子どもの時は心がとても明瞭であるから、親と切ることのできない良心。
だから力があった。
関係で喜びがあるし、力がわく。

だから、良心は自分のものではないんです。
関係のための良心です。

自分の良心と錯覚したら、主体者と関係が切れます。

先生を尊敬する学生は、成績が上がります。
先生の願いを思って、それに責任を持とうとするので、勉強に力が出ます。
だから、学生の良心は先生を中心とした良心。

関係で、良心は力を持ちます。

私の良心は、父母を中心とした良心であり、最終的には真の父母を中心とした良心です。
真の父母の事情を学んで、その父母の生活観を喜んで責任を持ちたいのが、良心です。

(来日時の李耀瀚先生講話より)


★★★


文先生によれば、良心は第2の神様であり、私に責任を持つ父母に優る父母、師に優る師であると言います。
それで、良心を考える時はいつでも、「自分と良心」の関係で考えていました。

しかし、その良心を自分のものだと錯覚してはならないと、李先生は言われるのです。

「良心を自分のものと思えば、その良心には力が出ない」

幼い子どもはあまりにも父母に愛され、父母を慕うので、自分の良心を自分のものと思わず、父母のものだと思っている。
父母を喜ばせることが自分の良心の責任だと思っている。

愛の主体を慕い、その方を喜ばせる責任をもつことで、良心は成長する。
そのようにも言えるでしょう。


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Admin:kitasendo