「講義」と「ワーク」を組み合わせる
今年に入ってから新しい教育プログラム作りに試行錯誤してきました。
これまでになかった工夫としては、「講義」と「ワーク」を並行させてみたことです。
まだ完璧に出来上がったわけではありませんが、新しいプログラムに沿って教育を始めています。
ワークの一つが、
「私は誰なのか?」
です。
昨年来、書写会や二世礼拝で実験し、自分でも継続しているものです。
これを講義と平行してやってみて、気がついたことが一つあります。
例えば、創造原理の前半を講義します。
講義が終わると、ワーク用紙を受講者に渡して、すぐに書いてもらいます。
取り敢えずは用紙1枚。
25行あるので、25項目の「私の自己紹介」を書いてもらいます。
時間にすれば、10分から15分程度です。
書き終わったら、それを見せてもらいながら和動(質疑応答)をします。
こちらとしては、
「創造原理を聞けば、その観点からの自己紹介が入る可能性もある」
というような狙い(期待)もあるのです。
例えば、
「私は神の似姿に造られた、神の子です」
とか、
「私は誰にもない唯一の貴重な価値を持っています」
とか。
ところが、実際にやってみると、そんな自己紹介はまず出てきません。
大抵は名前から始まり、自分の生まれ、家族、仕事などと続き、自分の性格や得手不得手、趣味などを絞り出して、何とか25項目を埋めるのがやっとです。
この25項目が、和動において非常に役に立ち、思わぬ効果を生むのを感じます。
原理講義を聞いても、それをすぐに自分の問題として捉えることはなかなか出来ないことが多いものです。
人によっては、
「こんな良い話は、もっと多くの人に聞いてもらえばいいのに」
などと言って、肝心な軸がずれたりもします。
そこまででなくても、学び始めた人の多くは、その関心が核心的ことよりも周辺的なことに傾きやすいものです。
ところが、このワークをしてもらうと、受講者の意識の焦点が「自分」に向くのです。
「私は誰か?」
などということは、普段ほとんど意識しないことでしょう。
それをたとえ15分でも、一生懸命意識集中することで、
「私はどんな人間なのだろう?」
「私はどんな問題を抱えているのだろう?」
「私はどんな点を変えていくべきなのだろう?」
などという疑問が内面から湧いてくるのを感じ始めるのです。
私にとっても、講義の後に受講者が書いた用紙を見ながら、
「これはどういう意味ですか?」
などと、とても質問がしやすいし、且つ、その人の隠された内面の真実を突き止める道が見えやすいのを感じます。
こちらが質問し、受講者が自分を振り返りながら答える。
こちらは「傾聴」しやすくなり、受講者は一生懸命に自己観察するようになるのです。
今後は、講義に合わせて、いくつか別のワークも考えています。
どんな可能性が開かれていくか、楽しみです。
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