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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

メシヤの心は違うかもしれない

2015/02/01
原理を学ぶ 6
20140201 

原理のみ言に、
「天は一度失敗した人やその民族、国家を再び用いることはない」
とあります。

天はそうです。しかし、メシヤの心は違うかもしれません。どういうことか分かりますか?

だから面白いのです

ギリシャ神話には、女性神が出てきます。男性だけでなく、女性が出てくるというのです。その女性神は、私たちの生活において、私たちが大きく発展することのできるすべての知恵を与えてくれる母なる神です。

(2014年12月20日 米国・ラスベガス 天和宮)

真のお母様(韓鶴子総裁)が日本人ツアー集会で語られたみ言葉の一部です。

原理講論の復帰原理を見ると、次のような記述があります。

ハムの小さな過ちによってサタンが侵入するようになると、神は復帰摂理の対象であったその家庭全部を惜しみなく捨てられ、その結果、ノアの家庭を中心とする摂理は、失敗に帰してしまったのである。(314項)

予定論によれば、神はある摂理のために予定された人物が、彼の責任分担を果たさなかったときには、その張本人を再び立てて、摂理なさることはできない。(325項)

「惜しみなく」
という表現には、神様の摂理に対する峻厳な態度が強く滲み出ています。

しかし、お母様は、
「メシヤの心は違うかもしれない」
と言われるのです。

そしてそれを、
「面白い」
とも言っておられます。

何が面白いのでしょうか?

この後に「女性神」の話をしておられるのを見ると、
「男性神と女性神との違い」
を指摘しておられるようにも思えます。

原理講論で触れられている神は「男性神」。
だから、摂理に対して峻厳であり、失敗した者に温情を施して再び用いるなどということはできない。

峻厳さは男性神の特性ですが、それはまた男性神の限界でもあります。
これまでの復帰摂理の中で、神は男性神の立場で原理的な峻厳さを中心として摂理して来ざるを得なかった。

これは「性相的男性格主体」であられる神の限界であったのではないか。
そんなふうに考えることができるでしょうか。

しかし、女性神の活動が加わることができれば、神の活動範囲は大きく広がり、活動の仕方に変化が出てくる。

なぜ今、お母様はこのような女性神の話をされるのでしょうか。

基元節を転換点として、神様の呼び方が、
天のお父様
から
天の父母様
に変わったことと関連するように思われます。

男性神が持つ限界で、女性神だけにできることとは何でしょうか。

「私たちの生活において、私たちが大きく発展することのできるすべての知恵」
を与えることです。

生活は毎日繰り返すものです。
今日失敗したからといって、すぐに切って捨て、見放すことはできません。
我々は明日も生活していかなければならないのです。

しかも、失敗したとしても、それを教訓として、明日はもっと発展できるようにすることができるかどうか。
それは子女に対する父母の願いであり、とりわけ母の願うところでしょう。

「メシヤの心は(神様の心と)違うかもしれない」
と言っておられます。

メシヤは男性ですが、ここでは女性もそれに加わった、いわば、
「男女両性のメシヤ」
言い換えれば、
「無形の天の父母様の有形実体であるメシヤ(真の父母)」
と言ったらいいように思います。

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Comments 6

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田黒吾寛

No title

ギリシア神話と原理とどういう関係があるのですか?

2015/02/01 (Sun) 22:49

教育部長

田黒さんへ

お母様の心と思考回路を十分に把握することはできませんが、私なりに思えば。
キリスト教には唯一神だけがあり、しかもその神は男性的であって女性神という概念があまりない。その一方で、ギリシャ(あるいは他の地域、日本にも)女性神という概念が豊富です。それで、本来、唯一神にも女性神的な要素があるべきなので、ギリシャ神話を引き合いに出して、女性神という観点から2つを関連させて話されたのだろうかと思います。

同じみ言葉の中で、この後、中国神話にある「麻姑(まご)」という仙女の話もしておられます。ネットで調べても、麻姑に関連して、あまり「女性神」あるいは「宇宙の母」というような記述は見つけられませんでした。何かご存知でしたら、ご教示くださ

2015/02/02 (Mon) 22:28

田黒吾寛

No title

>女性神の活動が加わることができれば、神の活動範囲は大きく広がり、活動の仕方に変化が出てくる。

なぜ今、お母様はこのような女性神の話をされるのでしょうか。

基元節を転換点として、神様の呼び方が、
「天のお父様」
から
「天の父母様」
に変わったことと関連するように思われます。

男性神が持つ限界で、女性神だけにできることとは何でしょうか。

「私たちの生活において、私たちが大きく発展することのできるすべての知恵」
を与えることです。
----------------

7男さんは、こう述べています。

>「原理には、男性格と女性格があると書いてあります。ですから、天のお父様と天のお母様がいらっしゃいます。あなたも神様です。」
 そして、真の子女たちに対しても、「お、あなたには、神聖な光があります。あなたも神様です。本当です」と言っていました。
 皆さん、これは一神教から二神教への変化を意味します。
 そうなったら止まりません。
 3世なり4世なり、将来必ず、真の家庭の中に「私も神だ。みんな神だ」と言う人が現れるでしょう。
 他のすべての多神教と同じように。
 エジプト、アッシリア、バビロニアのように。
 仮面は違っても、中は同じ相対主義です。
「皆が神で、神様は存在しない。」同じです。
 同じです。
ただ、もしも天のお父様に天のお母様がいらっしゃたなら、授受作用できる愛の対象を創造する必要がありません。
 神様は人間を創造せざるを得なかったと教える原理の内容は、間違っていることになります。
 多面的で神聖なる天のお母様と様々な面で相対できるのに、土の塵で作られた3次元の人間など必要ないでしょう。

と、つまり「天のお父様」は間違いであると仰っています。

どうおもいますか?そして教育部長のお考えは間違いとお認めになられますか?

2015/02/07 (Sat) 22:59

教育部長

田黒さんへ

亨進様のお話を私自身直接見ながら確認しておりませんが、米本さんのブログで読みました。
正直なところ、この問題には私として即答ができません。
私の考えに間違いや修正すべきところがあるなら、それを認めるに吝かではありませんが、今のところは何とも言えないので、保留にさせてください。

ただ一つだけ申せば、少し違和感を感じる点があります。

「もしも天のお父様に天のお母様がいらっしゃったなら、授受作用できる愛の対象を創造する必要がありません」
というのが本当に亨進様の言葉だろうかという気がします。

神様ご自身に本陽性と本陰性の二性性相があります。
この2つの要素の関係は、性相と形状の関係に等しいとありますので、本陽性が男性格主体、本陰性が女性格対象と見れば、前者を天のお父様、後者を天のお母様と考えることもできると思います。
しかし、この二性はあくまでも神ご自身の中にあるものであり、且つ無形なものです。

文先生のお話に、
「自分の中にあって自分と一体となっているものは感じない。刺激がない」
というのがあります。

ですから、神様はどうしてもご自身の中の二性性相を有形の実体として創造しなければならなかったと思います。
その意味で、天のお父様、天のお母様と言ったとしても、やはり土で出来た実体を神様は必要とされたと思うのです。

今のところ、これ以上のことは言えません。
田黒さんご自身にも良いお考えがあれば、ご教示ください。

2015/02/08 (Sun) 16:04

教育部長

こういうみ言葉もありました

無形な天の父母様と有形な真の父母様との関係について、「平和経」1540項に次のようにありました。

「創造主である神様は、ご自身を主体の位置、人間を対象の位置として創造され、神様の心の中にだけ存在した無形の子女、無形の兄弟、無形の夫婦、無形の父母(これが天の父母・教育部長注)を、アダムとエバの創造を通して実体として完成しようとされたのです。アダムの家庭を中心に実体の子女としての真の愛の完成、実体兄弟としての真の愛の完成、実体の夫婦としての真の愛の完成、そして実体の父母としての真の愛理想を完成し、無限の喜びを感じようとしたのです」

2015/02/08 (Sun) 21:59

田黒吾寛

No title

丁寧にありがとうございました。

2015/02/15 (Sun) 12:59