死の瞬間は「安らぎ」と「受容」で満ちている
ニューヨーク州の救命救急士。
7年間の体験から、彼は、
「死の直前、人の取る行動には3通りある」
と話しています。
「人は誰でも死にたくはない。死を恐れる」
仕事に就いた当初、彼はそう思っていました。
だから、
「この人はもう助からない」
と思っても、真実を告げることができなかったのです。
ところが、ある一人のケースを体験して、彼の死に対する考え方、捉え方が変わっていきました。
バイク事故の通報を受け、駆けつけると重篤な状態でした。
怪我を診断すると、もはや手の施しようがありません。
瀕死の状態の中で、大抵の人はこう聞くそうです。
「私はもう死ぬのか?」
その時もそうでした。
しかし、救急士はなぜかその時、真実を告げようと思ったのです。
「あなたはすぐに死にます。私にできることは何もありません」
そう伝えた時、相手の反応は思いがけないものでした。
目の中には「安らぎ」が見えました。
彼はただ横になり、自分の「死」を素直に受け入れたのです。
それ以来、救急士はダメなときは「ダメ」と伝えるように、対応を変えました。
すると多くの場合、相手の反応は「安らぎ」と「受け入れ(受容)」でした。
この反応をもう少し細かく分析すると、3つのパターンがあるというのです。
① 許しを請う
心臓発作で倒れた老人は、救急士の目を見ながら、
「自分勝手に生きず、子どもや孫たちともっとたくさんの時間を過ごせばよかった。申し訳なかった」
と言いました。
このような「許しを請う」反応は、その人の文化背景や宗教的信条に関係ありません。
「後悔」と言ってもいいし「罪の意識」と呼んでもいいでしょうが、許しを請うという反応があるのです。
② 記憶への願望
「私を覚えていてくれる?」
という最期の言葉を残す人も多くいます。
自分の肉体はなくなったとしても、私が存在したという記憶だけは誰かの中に残したい。
その記憶の中で自分は生き続けることができる。
そういう願望が最期の瞬間に湧き出てくるというのです。
③ 自分の人生には意味(価値)があったと感じたい
ある女性が車に挟まれて、重篤な状態でした。
車から引き出すのに45分かかりました。
解放される前に息が切れたのですが、その45分間の会話の中で、彼女は、
「人生でもっとやりたいことがあった」
と切実に訴えました。
しかし話を聞いていくと、彼女は2人の養子を引き取り、その2人ともが医学部を目指していることが分かりました。
養子に引き取らなかったなら不可能だった道を進ませることができていたのです。
彼女はそこに、自分の人生の意味を感じて息を引き取りました。
救急士の結論はこうです。
「どのような状況で死ぬようになるとしても、一般的に死の瞬間は『安らぎ』と『受容』で満ちている」
★★★
私もこれまで、何度か死にかけたことがあります。
その時、自分でも思いがけないほど即座に「受容」が訪れたことに驚いたのを思い出します。
なぜなのでしょうか?
肉体は自分の人生の最も親しく貴重な同伴者でもあり、またそれを一度手放してしまえば二度とは取り戻すことができないことも分かっています。
にも拘らず、それを手放すしかないと分かった時に、どうしてそれほど即座に諦める(受容する)ことができるのか。
極めて短い時間の中で、人の精神に予想もしない変容が起こるのかとも想像されます。
その死を受容できず、うろたえ、恐れるのは、むしろ周辺の近親者なのでしょう。
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