日本の自画像をどう描くか
昨日の記事で「自分個人の自画像を描くワーク」について書きました。
今日は「国家の自画像を描く」ということについて、少し考えてみようと思います。
次元は違っても、
「どんな観点から描くか」
によって現出する自画像が随分違ってくるということは共通しています。
『これが日本の実力だ』(福島清彦・立教大学特任教授)というウェブ記事を参考にします。
日本について巷間よく言われるのは、
「日本は長期デフレを克服できず、GDPでは中国に抜かれ、少子高齢化・人口減少で先細りするしかない」
という悲観的な自画像です。
しかし福島教授によれば、
「これは誤解、というか、視点の問題であり、今の日本は世界一豊かな国である」
というのです。
固定観念のように我々日本人に浸透している視点は「GDP中心主義」。
つまり、経済成長率だけが国の豊かさを測る唯一の基準だという認識です。
しかし、日本のように成熟した経済先進国がかつてのように大幅な経済成長を続けられるはずもないし、またそれを目指す必要もない。
実質的な豊かさを測るのに、何かもっと違う視点があっていいのではないかと思われます。
2009年、米国の経済学者が新しい経済指標を提案しました。
この指標に基づいて、2012年に国連が主要20カ国を対象として、新しい経済統計を発表したのです。
この統計は4つの指標から成っています。
① 国民の頭脳力である人的資本
② ヒトが生産した資本
③ 国民の信頼関係である社会関係資本
④ 農業や鉱物資源を中心とした天然資本
数値化が難しい③を除き、国連は他の3つの資本の資本残高を計算しました。
その結果はどうだったか。
日本は国全体では米国に次いで2位。
しかも、1人当りでは米国を逆に13%も上回って、ダントツの1位だったのです。
4つの資本の詳細な中身については、元の記事を読んでいただくとして、ここで明らかになったのは、
「GDPの伸び率が1%にもならないような今の日本が、実のところ、世界で最も豊かな資本を内包している国である」
ということです。

日本のどこが豊かなのか、大まかに言うと、
① 国民の教育水準や業務遂行能力である人的資本の水準が高いこと。
② 生産した資本(企業設備や道路港湾など)の水準が高いこと。
の2つです。
これに、数値化しにくい③の資本要素を勘案すると、より深い日本の自画像が描けるように思います。
経済活動の成果は、ただ労働者の数が多ければ上がるという単純なものではありません。
より高度な肉体的、精神的な労働が行えるような能力は、小さい頃から投入されたさまざまな教育の結果です。
しかし、それだけではありません。
より根底的な問題があります。
例えば、その人がどんな家庭に育ったか。
家庭の中に家族相互の信頼や愛情がどれほどあったか。
学校の先生たちはどれだけ教育に熱心で、能力が高かったか。
就職した職場はどれだけ働きやすいシステムや人間関係があったか。
暮らしやすい日常生活を保証する社会の治安がどれだけあるか。
さらには、その人の心を深く満たす趣味や信仰などの環境がどれだけ整っているか。
これらはすべて「社会関係資本」です。
このような資本の充実を、GDPの年率2%以上の成長以上に望む人が多ければ多いほど、日本という国の自画像は変わってくるでしょう。
EUではすでに、2020年に向けての長期戦略で、GDPという言葉を使っていないそうです。
その代わりに重視されているのが、若者の学力向上や貧困者数削減などです。
自画像の描き方を変えれば、自己の評価も変わってきます。
それは個人も国も、そして教会のような組織も同じです。
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