良い香りのする「真の私」
先生はかつて長い間の祈祷と瞑想生活で神様に対面しました。神様は私がいる前にいたし、私が考える前にいたし、私のすべての感覚、私のすべての一切を主管される方だというのです。
それを認識することが、何よりも重要な問題です。知って認識することが原則ではないというのです。認識して分かるようになっているのです。
(『天聖経』第1章)
吉永煥教授による『新氏族メシヤリーダースクール』から、もう少し、浄化精誠について見ていきたいと思います。
★★★
精誠はホームグループの根であり、天のご父母様を体験するところです。
私の中に天のご父母様を体恤するためには、私の中に天のご父母様の部屋を広げなければなりません。
部屋の中には、私があまりに大きな場所を占めていて、天のご父母様を拘束していないですか?
私の中の「私」をきれいに洗い落とせば(つまり、浄化すれば)、天のご父母様が解放されて、私は天のご父母様と一体になって、良い香りのする「真の私」になります。
「真の私」はまさに天のご父母様であり、神性そのものです。
「真の私」は「私」のために覆われて、「私」のために悲しみ、「私」のために息ができずにいたのです。
その「私」とは誰ですか?
それはまさに、自分中心に、自分の意向のままに人を判断する、神性でない悪性を持つ「私」です。
サタンとともにいる「私」です。
早く変わらなければなりません。
本当に個性が完成した人は、横に天のご父母様がいらっしゃるのを知って、行動が変わるのです。
これが第一祝福完成への道です。
誰かが行けるようにしてくれるのではなく、私が自ら浄化して、私の中の偽りの私の影響力を減らせば、私の中の神性の影響力が大きくなるのです。
このようになれば、私の中の神性が私の体を支配することになります。
私の体に痛みがあったとしても、それは神性の痛みです。
それを分かれば、
「ごめんなさい。私が私の体を無闇に使って、このようなことが起きました。許してください、天のご父母様」
と言うようになり、さらには、
「それでも生きている私が、ほんとうに感謝です。悟りを与えて下さり、ありがとうございます」
となります。
この感謝が一定の度を越せば、自然に愛の心が入り込んできて、
「愛しています、愛しています」
となるのです。
神性が作動すれば、体が熱くなり、気持ちは爽やかになって、喜びの化身になるのです。
★★★
このような一連のことが、
「知って認識するのではなく、認識して知らなければならない」
ということです。
その意味は、
「寒ければ、寒いと知って(寒いと)感じるのではなく、寒いということを感じて(寒いと)知る」
ということです。
4つの言葉(「ごめんなさい」「許してください」「ありがとう」「愛しています」)は、細胞で感じていう言葉にならなければなりません。
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