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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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人の心はどこで命を与えられるのか

20141120

昨日、地区主催の教育部長研修に参加して、伝道を中心に最新の方向性を確認すると同時に、いくつかの伝道の証を聞きました。

その証の一つ、教会近くの駅頭で路傍伝道を続けているという教会の証の中から、2点印象に残ったものをご紹介します。

多い時には教会長をはじめとして30人以上が参加するようになった駅頭伝道の火付け役とも言える韓国婦人がいます。

その方の証の中で、
私は掃除が大好きなんです
というフレーズが、なぜか私の心に残りました。

毎朝家を出る前に、家の中を隅から隅まで綺麗に掃除するのだそうです。
誰でも綺麗な家が気持ちいいには決まっています。
しかし、実際にはなかなか実践ができないものです。
しかも毎日となると、これは相当な掃除好きでないと難しい。

そうは思いますが、
「家をいつも最高に綺麗な状態に保っておく」
ということは、神氏族メシヤにとって非常に大事なことであり、伝道の第一歩ではないかという気がするのです。

「綺麗な家」というのは、
私の家は公的な教会である
という意識の現れそのものではないかと思うのです。

今後、伝道・教育の主要基地は教会ではなく、家庭教会である。
これは研修会の中で強調されたことの一つですが、そうだとすれば、「私の家は教会だ」という明確な意識が必要でしょう。

いつでも誰でも迎えることのできる私の家。
少なくとも、家の中の一つの部屋くらいはそのように準備されてこそ、氏族メシヤとしての要件が満たされるものと思います。

もう一つの証は、その同じ韓国婦人が出会った青年のことです。

彼は仕事を解雇され、希望もなく、財布にはわずか数百円しか残っていないという最悪の状況でした。
自殺を考えてさまよっていたのです。

駅を出てくると、文先生の姿を描いた幟がはためいていました。

「あれはもしかして、この前図書館で読んで感動した自叙伝のその方だろうか」
と思って、話しかけたのが伝道のきっかけとなりました。

彼はすぐに教会へ導かれ、そこで待っていた教会長にとても温かく迎えられたのです。

実家には、病気で伏せる親がいる。
「帰って来い」とは言われているが、帰るお金すらない。

そういう話を聞きながら、教会長がちょっと席を立って、封筒を手にして戻って来ました。

「これで実家に帰りなさい。親に孝行を尽くし、安心させてあげなさい。そして、家の近くには教会があるから、必ずそこを訪ねてみなさい。きっと君の力になってくれる」

そう言って、電車賃を渡したのです。

彼は実家に帰り、その後ちゃんと教会を訪ねて通うようになったといいます。

自殺を考えてさまよっていた、外見は惨めな青年。
初めて来た教会で昼ご飯を食べさせ、電車賃まで渡して実家に帰らせる。

ここには、伝道の方法というより、真の父母の「伝統」があるなあと感じました。
原理のみ言葉を聞かせ、理解させて、行くべき道を悟らせる、という伝道はあるものの、人の心はどこで命を与えられるのか

伝道というものの本質に触れるような気がした証でした。


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2014-11-22 * - [ 編集 ]