澄んだ水は流れるべきだ
去る10月26日に韓国で連合礼拝が行われたその翌日、真のお母様(韓鶴子総裁)が世界の主だった指導者幹部を集めて特別な集会を持たれました。
その時に語られた30分の講話を拝見して私なりに感じたことを、2つだけ記しておきます。
① 乳母と実の母は何が違うか。
② これからは五苑を積極的に稼働させる。
先ず、乳母についてのお母様の観点です。
乳母とは、親子の血こそ繋がっていないものの、公的な人であり、自分が引き受けた仕事に対して私的な感情がない人です。
その代表が、大母様です。
大母様(洪順愛ハルモニ)はお母様をお産みになりましたが、自分の娘だと思って接したことが一度もない方です。
自分は天の娘を育てる乳母であると考え、
「あなたの父は神様だ」
と教えてこられました。
この乳母は、一人娘の「環境」を創造したのです。
それで、お母様は、
「私を教育した人は一人もいません。一人息子と一人娘とは同等です。一人息子が一人娘を教育したとは言えません。私が(一人娘としての責任を果たすと)決心したのです」
と明言されました。
その意味で、大母様は歴史的な乳母の役割を見事に果たした方だと言えます。
そして、
「一生の間、大母様には私心がなかったのです」
とお母様が言われる時、霊界に行かれた後に清平の役事を始められて以来、今日に至るまで、一貫して「私心がない」ということでしょう。
また、そのような文脈の中で、お母様ご自身も「乳母」の役割を果たすのだと言われているように思います。
お母様の場合、全人類に対する「乳母」です。
実の母は、未成熟な時、人情によって子どもに対してしまい、その子をダメにしてしまうことがあります。
しかし「乳母」は人情ではなく天情によって子どもに対そうとするのです。
お母様は徹頭徹尾「乳母」の立場で考え、行動すると決意しておられるように見えます。
それでお母様は、こう言われました。
「私は親の心で皆さんを見てきました。次は考えないように、先入観で見ないように努力してきたのです。皆さんが今頑張っているその姿で最後までやってくれるだろうと期待したのです」
しかし、結論的に、私たちはその期待によく応えられなかった。
「真の父母様や大母様の基準から見ると、皆さんの中に合格者は一人もいません。すべて不足です」
と言われるその言葉は、極めて深刻な心情から出てくる言葉です。
あまりにも長過ぎる私たちの「成長期間」を待って来られましたが、今や時は「法治時代」に入ってきました。
それで、お母様が、
「これからは五苑を積極的に稼働させる」
と言われたのです。
五苑とは、天一国憲法に明記された「天議苑」「天法苑」「天財苑」「天政苑」「天公苑」の5つの行政機関です。
この憲法は、文先生が聖和されて後、かなりの短期間で整備され発布されましたが、それにも意味があったのだなと、改めて感じます。
今回の講話の中で、お母様は過去半年間、お一人で深く悩み考えてこられたことを断行されました。
これまで枝葉のように広がった多くの組織を合流させ、協会の組織を全体的にコンパクトにするという方向を明確にされたのです。
そのようにされた目的は、これから達成すべき明確なゴールに、全体が集中的に向かっていけるようにするところにあるのではないか。
私にはそんなふうに思われました。
文先生という偉大な指導者に率いられる「カリスマの時代」は過ぎました。
これからは、大きな組織の中に少しでも「私心」のある指導者がいれば、組織全体がどこへ外れていくか分かりません。
その危険を防備し、制御することは、どんな一人の偉大な指導者にも難しいでしょう。
お母様にとっても、それは例外ではないように思います。
個々の人間の意思を超えた「天法」のもとで進んで行くしかありません。
この他にも、講話の中には重要なポイントが幾つもあったと思いますが、結論として言えば、
「澄んだ水は流れるべきだ」
という一言を挙げておきたいと思います。
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