二世たちのシビアな「先生評」に思う
- 2014/11/02
- 23:48
本日の教区運動会は、生憎の雨。
前日にはテントまで準備していましたが、結局使うこともないまま、体育館の中での芋の子を洗うような運動会となりました。
それでも二世たちにとってはかなり楽しいものだったようで、彼らを乗せて帰る道々、車の中はハイになった彼らの会話が途切れなく続いたのです。
その中で、少し気になることがありました。
彼らの話題はあれからこれへと、とめどがないのですが、ある時から学校の話題になり、どんな先生がいるかという話題で盛り上がり始めました。
「息が臭い化学の先生。授業中、眠くなったら、先生の近くに行って大きく息を吸ったら、ぜったい目が覚める」
「視線の向きが超へんな地理の先生。チョークを持って説明するんだけど、顔がずっと上を向いてる。いったい何を見てるんだ?」
まあ、こんな先生評がかなり続くのです。
「先生というのは、生徒に教えているようで、生徒から結構シビアに見られているなあ」
と思いながら、私は黙って聞いていました。
しかし、やっぱり気になってきたので、頃合いを見て、一言口を挟みました。
「君たちの学校にも、好きな先生、良い先生もいるだろ? それぞれ一人ずつそんな先生を紹介してよ」
そう言うと、みんな、ほとんど間髪をいれず、
「いるいる。いますよ、先生」
そして、一人ずつ、今度は「良い先生」「尊敬できる先生」を話し始めます。
「若い化学の先生。教え方がうまいし、すごく礼儀正しい。机を離れるときには椅子をきちんと机に入れるって、先生から教わりました」
「女の英語の先生。優しい。先生から色々話しかけてきてくれるので、毎日何か先生と話せる」
今度は、こんな話が続きました。
聞いていると、変な先生の話をしている時と、話し方が微妙に違うことに気づきます。
変な先生の話をしている時は、揶揄するように笑いながら、声高に話すのですが、良い先生について話し始めると、落ち着いて真面目な口調になるのです。
私がどうして、あの提案をしたのか。
その理由に気がついた二世はいなかったかも知れません。
しかし、気はつかなくても、自然に彼らの口調は変わったのです。
実は、「変な先生」と「良い先生」がいるのではありません。
「先生の良い面」と「先生の変な面」があるのです。
つまり、「良い」とか「変」とかいうのは、相手の問題ではなく、私の感じ方の問題なのです。
このことについて、次の二世礼拝で話してみようかと思っています。
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