甘受しないと神性は見つけられない
『祝福家庭』73号に、
「祝福の子女って、いったい何者!?」
というコラムがあります。
光の子園の副園長が体験的子女教育を綴っています。
祝福二世のどこに、どのように「神性」を探し出すかという貴重な体験談です。
その中の幾つかを抜粋して紹介します。
★★★
二世たちは神とサタンを知っています。神様を愛していますし、真の父母様を愛しています。
真のお母様が祝福の子女ために、「天の父母様、愛しています。ありがとうございます。天地人真の父母様、愛しています。ありがとうございます」というお祈りをくださいました。二世たちが初めてそのお祈りをした時、保育士はみな泣きました。
霊界が清められました。それほど祝福の子女は垂直の信仰を持っている人たちなのです。そして、善いことをしようとするために生まれた人たちです。
祝福の子女に原罪はなくても、遺伝的罪、連帯罪、自犯罪はありますから、問題は起こります。問題があるとしたら、それは神様も真の父母様も心を痛めておられる問題なのです。ですから、私の家庭が神様と真の父母様に直接、報告祈祷して夫婦が一体となって、訓読しながら、神様のみ言葉をいただいて、解決の道を探していくことが大切なのではないでしょうか。
子どもが泣いた時は、国を憂えて泣いていると思って下さい。日本を憂え、世界を憂え、統一教会を憂えて泣いているのです。背後でどれほど真のお母様が涙を流していらっしゃるでしょうか。
教育のポイントは「尋ねる」ということです。祝福の子女に尋ねる、神様に尋ねる、父母様に尋ねる、夫婦だったら夫に尋ねる、妻に尋ねる、現場であれば上司に尋ねる、一緒にやっている兄弟姉妹に尋ねるということです。
光の子園では、子どもの「いや」を「わがまま」とは捉えません。「本音」と捉えています。そうするとお子さんたちが本音を話してくれるようになります。
神性というものは隠されているのです。ほとんど途中で大人がギブアップしているのだと思います。もし、本当にそのお子さんの神性を見つけたければ、忍耐が必要です。甘受しないといけません。
今までは「ねばならない教育」「頭ごなし教育」「四角四面の中に入れる教育」でした。そういうやり方では子どもたちは何もいうことを聞いてくれません。
部屋の中を走り回るは、物を投げるは、けんかはするは....。
そういうとき口に出るのは「何やってるの!」という叱る一言、「そんなことをしたら神の子じゃないでしょ!」と原理でパーンと裁きました。こちらが頭ごなしに否定する言葉を吐くと、子どもたちに「そうじゃない」と態度で反発されました。
真の父母様の血と汗と涙によって生まれた子女は、汚いものや悪いものがあっても、祝福の子女だという原点は変えることができませんでした、
泣いたり、わめいたり、吠えたりしている、それは全部神様が叫んでいると見るようになりました。
この子はこういう時に泣き、こういう時は吠えて、「ああ、そういうことなの」と理解すると、私の心の中から「そうだ」という神様の声が聞こえるのです。子どもが全部さらけ出したら、奥底に光るものがありました。それが、神性でした。
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