ホームグループ伝道への試み3段階
神学生の時に「ホームグループ伝道」の講義を聞き、卒業後、牧会者となってその思想を実践しようと取り組んだ方の証を聞きました。
最初に赴任した教会でホームグループの意義を説明して、いくつものグループを作って活動を開始。
ところが、始めて数ヶ月たつ内に教会員たちは次第に力を失い、活動はすっかり下火になってしまったのです。
なぜなのかと考えて、調べてみると、こういうことでした。
教会員たちにとって、ホームグループは新しい一つの活動形態でした。
彼らは、
「新しい一つのノルマが増えた」
と感じていたのです。
これを続けていけば何が達成されるのか、とりわけ、自分自身がどう変化(成長)できるのか。
そのことに対する明確なビジョンが描けていないまま実践にとりかかったために、次第に内的な動機が薄れ、変化も実感できず、力を失っていったのです。
2つ目の教会に人事で移った時、今度は全員をホームグループに配置するのではなく、一部に限定してみました。
配置されたメンバーは、最初こそ頑張ってみるのですが、やはり次第に力を失って、活動は失速していきました。
このように現場で試行錯誤を続けている内に、「浄化精誠」に出会ったのです。
それと同時に、コーチングにも目を開かれていきました。
この2つを深く学んでいくことによって、課題がどこにあったのか、よく見えてきました。
人はまず自分の内面が変化し成長する実感を持ててこそ、内的な動機をしっかりと持つことができる。
その動機が根付かないと、誰であれ一つの行動を主体的に継続することはできない。
そして、
「浄化精誠こそ、この内的な動機を作る天の知恵ではないか」
という確信を抱くようになりました。
この「浄化精誠」が性相とすれば、その土台の上で機能する「コーチング」が形状。
この性形が一体となった土台の上に初めて、ホームグループが機能するようになり、さらに進んで一対一講義も可能になる。
そう考えるようになったのです。
浄化精誠とコーチングが性相・形状の関係にあるということについて。
浄化精誠は、自分の中にも相手の中にも「神性」を見出そうとします。
これは非常に内面的な作業です。
コーチングは、相手の中に「神性」があることを前提とした指導技法です。
相手の中に「神性」があるからこそ、相手自身の中に問題解決の力があると信じることができるわけです。
私自身の実感から言っても、浄化精誠がよくできていない段階では、コーチング的な対応が難しいのを感じます。
自分が「未熟だ」と感じている相手と話すと、いつの間にか自分の考えを押し付けようとしている自分に気づくことが多いのです。
「その考え方は、ちょっと違うよ。こういうふうに考えるべきだよ」
と言いたい衝動が湧き上がってくるのです。
2つの教会を経験した牧会者は今、3つ目の教会に移り、ひたすら浄化精誠を深めようと取り組んでおられます。
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