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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

み言葉の生活化はいかに可能か

2014/10/20
信仰講座 0
20141020 

太初、神様の中には心情があり、そこから湧き上がる愛が渦巻いていました。
しかし、その愛が一体どのようなものなのか、神ご自身にも判然とは分からなかったのです。

それをはっきりとさせるために、神様には実体の対象が必要でした。

それで、男の子と女の子を造ってみました。
すると、ご自分の中に父母の愛があることが分かりました。

アダムとエバが純粋に神様を慕ってくる時、神様は、
「子どもが慕ってくれるというのは、こんなにも嬉しいものなのか」
と初めて実感されたのです。

アダムとエバがお互いに気遣い、慕い合うのを見て、兄弟愛があるということが分かりました。
これがもう少し成熟していけば、そこに神様が内心で最も欲していた夫婦の愛に行き着くということを、震えるような気持ちで待ちわびました。

このように、アダムとエバという実体との関係を通して、神様はご自分の中に「四大愛」があるということを悟られるようになったのです。

私たちの中にも四大愛があります。
しかし、愛の対象が現れるまで、その愛は明確な形も方向性も持たず、私の中で時を待ちながら渦巻いているのです。

生まれた時から私の中に「父母の愛」はあります。
しかしそれは自分に子女が生まれて初めて、はっきりと形をとって動き出すのです。

このように考えると、神様にとっても私たちにとっても、対象というものがどれほど貴重で価値があるか。
そのことが改めて、深く感じられてきます。

兄は自分の弟を尊く思い、絶対的に愛していく時に、兄の愛を自らの中に感じ、それを成熟させていくことができます。
父母は自分の子女を尊く思い、絶対的に愛していく時に、父母の愛を自らの中に感じ、それを成熟させていくことができます。

先日の壮年研修会で本部の壮年部長が、
み言葉は生活化されなければだめだ
としきりに強調されたのですが、それは生活の中でなければ、このような「愛の対象」を尊く思い、我を忘れて愛していく体験が不可能であるからでしょう。

李耀瀚牧師が、ある集会で、
「真の父母様に会ったことがない中高生にどのように(真の父母様への姿勢を)指導したらいいでしょうか」
という質問に対して、次のように答えられたと聞きました。

その子にとって大事なのは、心が一番通じる人との関係です。その関係の中で悟っていかなければなりません。だから、生活自体を正しく指導しなければならないのです」

私たちにとって最も重要なことは、霊人体が育つことです。
良心が育つと言ってもいいと思います。

そのためには、生活が観念であってはならない。
直接一緒に生活できない人よりも、生活圏をともにする人との関係を貴重視しなければならない。
その実感的な関係を通してこそ、自分の中の愛を引き出し、育てることができる。

そのような指摘かと、私なりに理解します。

み言葉の生活化

このことが、最近とても気にかかっています。

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