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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

「孝行」と「孝道」

2014/10/16
未分類 1
20141016

韓国の有名な昔話に
『沈清伝』(シムチョンジョン)
というものがあります。

この物語をヒントに、日本と韓国の文化意識の微妙な違いが原理的にどんな意味があるかについて考えてみようと思います。
(教会員講師による日韓文化比較セミナーを参考にさせていただきました)

★★★

一人娘の沈清は幼くして母を亡くし、盲目の父の手一つで育ちました。
孝行娘沈清の願いは、その父の目を開けてあげること。
供養米三百石を仏様に供養すれば、父の目が開くと聞いて、商人たちに、三百石の米の代価に、自ら身を売りました。

当時、イムダンス池に棲む悪魔はしばしば起こす洪水が、人々の悩みの種でした。
からだの綺麗な処女を悪魔に捧げれば災悪を免れるとして、商人たちは犠牲となる処女を求めているのを知って、沈清は自ら海に身を投じたのです。

死んだと思った沈清は竜宮に達します。

彼女の孝行に感動した竜王は、沈清を世に戻して、イムダンス池の蓮の花に咲かしました。
蓮花のあまりの美しさに、人々はその花を王様に捧げ、沈清は王妃となりました。

沈清は、父に会いたくて、或る日、盲人のお祭りを行いました。
お祭りに来た父は、娘と会い、再会の嬉しさのあまりに、眼が開いたのです。

すると、父の目だけではなく、その場に居合わせたすべての盲人の目が次々に開き、そればかりか、国中の盲人の目が開くという奇跡が起こったのです。

★★★

「孝」というものの持つ力の偉大さを教える話です。

しかし、この物語の中には、少なくとも2点、日本人の感覚では合点のいかないストーリー展開があるように思われます。

一つ目は、父の目を開けたい一心で沈清が身を売り、海に飛び込むという件です。

その朝、沈清がいつものように父に食事を準備すると、
「私は目が見えなくても、お前がこうして毎日世話をしてくれるので、何の心配もない」
と父は喜んでいます。

にも拘らず、沈清はその父を敢えて孤独単身にする道を選んでしまうのです。

日本人の感覚から言えば、自分は嫁に行かずとも父のもとを離れず、一生目の見えない父の世話をしようというのが「孝」のようにも思います。

二つ目は、父の目が開いた途端、隣の盲人の目ばかりか、そこに居合わせてもいない国中の盲人の目もすべて開いてしまうという奇跡。

沈清はひたすら父の目を開けてあげたいと願って犠牲になったのです。
それなのに、どうして2人に関係のない見ず知らずの盲人まで、すべてその恩恵を受けることになるのか。

少なからず違和感の伴うこの2つの点を分析してみると、次のような問題点が見えてきます。

日本では
親孝行
と言います。

韓国には
孝道
という表現があります。

孝行という観点から見ると、沈清は父のもとを離れるべきではありませんでした。
盲目の父にとっては、沈清だけが頼りなのですから、その父を離れてしまっては親孝行することはできません。

ところが、孝道の観点から見ると、目の見えない父親の目を開けて、一度でもこの世を見せてあげるのが子女の行く道なのです。
そのためには、今たとえ父のもとを離れ父を見捨てるように見えたとしても、父の目が開ける道を優先しなければなりません。

ここで「孝行」と「孝道」とは何が違うのでしょうか。
「孝行」は目の前の親に尽くす個別の「行動」であるのに対して、「孝道」というのは「子女は親に対してこのようにすべきだ」という普遍的な「行動原理」なのです。

沈清は目の前の父親に尽くすという「行動」よりも、子女として行くべき「行動原理」を優先したということになります。

その結果、どうなったのでしょうか。

死んだと思った沈清は竜王に助けられ、王妃にまでなって父親に再会します。
そして、孝道に従った生き方によって天を感動させ、その結果、自分の父親ばかりか、国中の盲人の目を開けてしまうという快挙まで成し遂げたのです。

「孝行」はせいぜい一人の親しか助けられません。
しかし「孝道」ははるかに多くの同じ境遇の人たちを助ける力を持つのです。

なぜかと言うと、「孝道」には天が介在されるからです。

この点を原理に照らし合わせてみましょう。

原理では、天国の最小単位を「家庭」だと言います。
そして、地上人生における最も本質的な目的は、その家庭で「四大心情圏」を完成することだと見ます。

四大心情圏は、家庭の中で自分の父母や配偶者、あるいは子供たちとの間で築くものです。
ところが、それがなぜ天国の基礎になるのかと言えば、それが「」であるからです。

つまり、家庭の中で父母を愛し、父母によく侍れば、それは世界全体の父母のみならず、天の父母様を愛し侍ったことになるということです。
天の父母様は我々に、目の前の父母を天の父母様のように感じて、愛し、大切にしてくれることを願っておられます。

そのように侍れば、天の父母様は感動されます。
そして、その一人の「孝道」の実践を条件として、全世界に同様の恵みを与えようとされるでしょう。

「孝行」はただ一人の父母に侍ることですが、「孝道」はすべての父母、ひいては天の父母様に侍るという価値を持つのです。

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2014/10/19 (Sun) 12:27