神様の知恵を持ちなさい
3日間、チャート式講義の中級講師検定のための研修会に参加してきました。
実は、当初あまり大きな期待もせずに参加したのですが、参加してみると、非常に恩恵深い研修会でした。
研修会中に、すぐ下の川原で祈祷していたとき、私の心に響いてきたのは、
「神様の知恵を持ちなさい」
という声でした。
チャート式というのは、原理講論の主要部分だけを抜き出し、その文章を一字一句そのまま読みながらする講義です。
私が普段している講義は、解説を加え、分かりやすいように例題も入れてしていますから、チャート式とはずいぶん違うものになっています。
私から見れば、チャート式の講義はあまりに簡略であり、無味乾燥な感じがしていました。
何の肉付けもない骨組みだけのような講義で、そんなもので新しい人が原理を理解できるだろうかという疑念があったのです。
ところが今回、今まで私にまったく見えていなかったチャート式の本質的な意義について気がつかされ、自分の浅はかさを思い知ることになりました。
チャート式の本質は、まさに、
「み言葉しかない。み言葉以外には何もない」
というところにこそあると分かったのです。
文章をそのまま読みながら講義すると言いますが、実際に皆の前に立ってやってみると、私がみ言葉をどのように感じ、どのように理解しているかが、否応なく全て出てしまうのです。
極端に言えば、わずか10秒だけ講義すれば、それだけでほぼ全て分かってしまいます。
初日、多くの研修生がかなり厳しい採点をもらいました。
その理由は、一字一句の言葉をあまりにも軽く扱っていたからです。
例えば、
「本心と邪心とが熾烈な闘争を展開している人間の矛盾性」
「堕落によって、神ともサタンとも対応することができる中間位置」
などというみ言葉の一節を私たちは普段何気なく語っているのですが、この短い一節の中に、実はどれほどの神様の嘆き悲しみ、歴史的な苦痛が込められているか。
それを本当に感じるなら、さらりと棒読みにはとてもできなくなるのです。
チャート式講義を指導された文先生の意図は、多くの人が講義ができるようにという願いもあったでしょう。
しかし、より本質的には、
「み言葉そのものに、どれだけ神様の無限の力と愛を感じるか」
ということを、心霊の奥深いところで、講義者自身が確認するためのものだと思います。
解説も例題もないからこそ、自分の内面を誤魔化しようがなくなるのです。
このことに少しずつ気がつくにつれて、研修生の講義の仕方が劇的に変わってきました。
短い章句の中に、思いがこもるようになったのです。
そうすると、聞く人に非常に強いインパクトを与えるようになります。
まさに、み言葉の中にこそ、人の霊的命を生かす力がある、ということを実感しました。
逆に、これまで受講者のために良かれと思って工夫していた解説や例題は、下手をすると、神様の直接的な恩恵をむしろ遠ざけてしまうものになるかも知れない。
そういう危惧も抱きました。
「自分の知恵ではなく、神様の知恵を持て。
人間を本当に生かすことができるのは、神様だけである」
川原で聞いた声は、このことを深く胸に刻め、ということだったように思います。
今回の研修会の恩恵は本当に大きかったので、今後数回に分けてまとめてみようと思います。
【お勧め記事】
「み旨の核心」
「神のもとの大家族」
「自力は虚しい」
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