子どもを手放し、自分自身を立て直しなさい
この数ヶ月間、一緒に書写会を続けてきた男性が、今日の会の終わりにしみじみと証をしてくれました。
「この書写会は、私にとって本当にいろいろな気づきを与えてくれる場でした。口下手で普段はなかなか思ったことをうまく言えないのですが、ここでは自由に話させてもらえたので、自分で話しながら気づくことが多かったんです」
この間、奥様が急な病気で入院をされ、精神的にも生活の上でも大変な期間でしたが、
「それも神様の愛であったと思います」
と正直な話をされました。
「皿洗いはづっと続けておられますか?」
と尋ねると、
「それは、もちろん」
との答え。
特に奥さんが入院されて以来、洗濯もするし、掃除もしなければなりませんでした。
「こういうことは妻がやるべきものだと思ってきましたが、自分でやってみて、自分は今まで口先だけだったなあと思いました。自分が変わることが第一だとよく分かりました」
こういう話を聞きながら、ささやかな書写会でも続けてきてよかったなと思いました。
と同時に、最近『祝福家庭』で読んだ一つの証を思い出したのです。
その方は、成和部の二世たちを長年指導してきた婦人です。
人の子は結構厳しく指導しているのですが、自分の娘が高校生になった時、急に態度がよそよそしくなったのです。
それまでのように気軽に話をしなくなり、それが40日間も続きました。
学校と教会で嫌なことが重なったようです。
さすがの婦人も子どもの心が読めず、親としてどうすべきか、相当深刻に悩みました。
家に帰って娘の顔を見るのが苦痛なほどになったそうです。
その時、祈っていると一つの気づきが与えられました。
「子どもを手放し、自分自身を立て直しなさい」
子どもとの関係を何とかする前に、まず自分自身がどういう心情で毎日を過ごすか。
それが大事ではないか、という気づきです。
それから婦人は、
「周りのために心から尽くそう」
と心がけました。
心を込めて食事を作り、心を込めて掃除をしたのです。
何気なく過ぎていく現実の一コマ一コマを愛の目で見つめ、愛の言葉をかけ、愛の耳で人の話を聞く。
とても注意深い生活を心がけるようにしました。
そうこうしているうちに、娘さんの態度が徐々に変わってきました。
とげとげしい態度が和らぎ、以前のように笑顔が増えてきたのです。
この証を読みながら、
「こういうことはよくあるなあ」
と私も思います。
娘の心は、鈍感な父親の私には読めない時が多いのです。
機嫌が悪そうで、私が「おはよう」と言っても、挨拶を返さない朝も多い。
学校から帰る車の中で、「今日は静かだな」と思っていると、なぜかしくしくと泣いていることもある。
こういう時は、子どもを手放すしかありません。
そして、自分自身を立て直すのです。
「私は娘から見ても恥ずかしくない生活をしているだろうか?」
そんなふうに考えます。
家庭に願われるのは「心情生活」。
その心情生活の中で、子どもの良心も父母の良心も一緒に育つのです。
よろしければ1クリック!

にほんブログ村
【おすすめ記事】
- 関連記事
-
-
二世たちのシビアな「先生評」に思う 2014/11/02
-
もしかして「私」は何者でもない 2019/07/24
-
頑固一徹、愚直な男 2011/05/15
-
米国の旅は道連れ 2011/02/28
-
スポンサーサイト