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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

性相はあるが、形状がなかった

2014/09/05
信仰で生きる 0
20140905

先日のホームグループ書写会では、その数日前の教区出発式で語られた教区長の映像を視聴し、その感想を中心に話を進めようと考えていました。
ところが、いざ映像の後で順番に感想を求めると、意外と講話に対する感想はあまり出ず、その代わりにいくつかの興味深い証が出てきたのです。

その中でも最も印象的だったのが、ある壮年の証でした。

その方は、先週の書写会の時に、率直な告白をされたのです。

「家庭の家族関係が難しい。特に妻は、昔は一緒に教会に行って礼拝にも参加していたのに、今では誘っても『行きたくない』というのです。私は夫婦揃ってみ言葉を学び、教会の礼拝にも行って、一緒に伝道もするのが祝福の夫婦の姿だと思うのですが、全くそのように行かない」

そういう告白に対して、同席した人はみな一様に心配し、
「こうしたらどうか、ああしたらどうか」
と、いろいろアドバイスもしたのです。

その方も、
「そうですねえ。そうしたらいいかも知れませんが・・・」
と相槌を打ちながらも、なかなかそう簡単にはその通りに実行できそうにないという思いが、表情に滲み出ていました。

ところで、1週間後の先日、その方が、
「実は、ちょっと自分の証がしたい」
と言って、話し始められたのです。

★★★

私は、1週間ほど前から台所の食器洗いを始めたんです。
食事はいつも家族がばらばらに食べることが多いんですが、食べたらそのまま、シンクには洗わないままの食器がだんだんと山積みになっているのが常だったんです。

そうなると、料理もしにくい。
つい、コンビニで弁当を買ってきて食べたりすることも多くなります。

それで、私は意を決して、とにかく自分がここを綺麗にしよう、と思って、気がついた時にはすぐ食器を洗うようにし始めたんです。

洗いながら、一つのことに気がつきました。
「今まで自分は、『神様、神様』とは言ってきたが、食器洗い一つしてこなかった。性相はあるが、形状がなかった。こういうところに自分のからだを動かすことがなかった。いつも、『妻はなぜ片付けもしないんだ』と内心で妻を批判するばかりだった」

それで、まだ1週間にしかなりませんが、台所はずいぶん綺麗になりました。

すると、気がついてみると、トイレも綺麗になってきているんです。
あれ、どうしたのかな、と思いましたが、どうやら妻が掃除をしているみたいなんです。

★★★

この証を聞いて、参加者一同から、
「ほ~~っ」
という感嘆の声が上がりました。

「性相だけではだめだ。形状も伴わないといけない」
というのは、教区長の講話の中にもあったフレーズです。

小さな証かも知れません。

しかし、その方が、
「自分は『神様、神様』とは言ってきた。礼拝や集会には極力出ようと努めてきた。しかし、家に帰ると、皿洗い一つしていなかったことに気がついた」
というのは、非常に貴重な悟りだと、私は感じました。

週に1回集まって書写をし、感想を述べ合い、お茶を飲むだけのような時の多い書写会ではありますが、その中に少しずつ参加者の心の変化、気づき(性相)、そういうものが生まれ、それが一つの行動(形状)を生み出す。

その変化はたとえ小さいとしても、物事の変化は、結局、自分自身が変わるというところから始まらない限り、本当の変化にはならないのではないかと思います。

その意味で、この壮年の方の証は私の胸にとても深く刻まれるものだったのです。

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