朝5時からの訓読会は、どうするつもりなのか?
本日、9月度の出発式が行われた際、教区長が語られたテーマの一つが、
「初物を捧げる生活伝統」
というものでした。
その伝統となるべき最も重要なものの一つが、「朝の訓読会」です。
それについて、教区長の体験談を一つ紹介されました。
もう10年以上前のことですが、日本の責任者たちが文先生に呼ばれて、韓国に集まった時のことです。
夜の9時頃から集会が始まりました。
その時、文先生は、
「今日のみ言葉は長くなるよ。覚悟しなさい」
と言われて、語り始められました。
そのお話は確かに、深夜12時にまで及び、そろそろ終わるのかと思ったら、さらに続き、真夜中の2時になりました。
参加した責任者たちは、もうフラフラです。
眠気と疲れで、文先生のお話の内容など、ほとんど頭に入らなくなってきています。
ところが、文先生のお話はそれでもまだ終わらない。
み言葉はとうとう、明け方の4時15分に及んだのです。
それでいよいよ、今日の集会は終わりかと思われました。
その場を進行していた韓国の責任者がさっと立ち上がって、
「真の父母様に、キョンべー・・・」
と号令をかけました。
疲労困憊の参加者たちを一刻も早く解放してやろうという気持ちもあったのでしょう。
すると、その瞬間。
文先生の怒りが、烈火のごとく爆発したのです。
「誰が解散しろと言ったんだ!」
と言うわけです。
そして、続いて言われた一言が、
「朝5時からの訓読会は、どうするつもりなのか?」
ということでした。
その一言を聞いた時、教区長は正直、恐ろしくて、ぞっとしたそうです。
「お父様。昨夜の9時から深夜を挟んで、明け方の4時15分までみ言葉を語られたんですよ。もう今日の訓読会はしたも同然、十分じゃないですか?」
多くの参加者は、心の中でそうつぶやいたのではないでしょうか。
しかし、文先生にとっては、朝の5時までどこで何をしていようが、そんなことは関係ないのです。
朝5時になったら、絶対的に訓読会。
教区長がぞっとしたと言われたとおり、文先生の生き様には鬼気迫るものがあったのでしょう。
ところでその後、文先生は皆んなを諭すように、こう言われたそうです。
「お前たちをどうして徹夜させたか分かるか? 先生はこれから日本の区域長たちを龍平に集めて修練会をしようと思っている。そのために、君たち責任者を先に訓練したんだ」
「初物を天に捧げる」
という文先生の基準の前には、私は全く頭が上がらないものですが、このような生活伝統の目的について、教区長はこう言われました。
「結局は、私の良心基準を高めるためである」
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