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侍義時代は「仲良く暮らせ」

kitasendo
20140823 

前回の記事と同じ「復活論」にあることです。

再臨されるイエスによって人間が霊肉ともに復活する時代を、
侍義時代
と言います。

なぜこのような呼称なのか。

この時代における人間は再臨主を信じ侍って、霊肉ともに完全に復活することによって、その霊人体は生霊体級を完成するようになるからです。

ところで、この「侍る」ということ。
これが必ずしも分かりやすいものではありません。

以前に何度か参考にした『本郷女性講座』の中に、このテーマを取り上げていますので、少し紹介します。

日本語で「侍る」と訳されている原語は「モシダ」です。(ハングルでタイプできないことをご了承ください)

翻訳というものは常に簡単ではないのですが、ここでも日本語と韓国語の間には微妙なズレがあるようです。

日本語で、
「お父様に侍る」
というと、どんな感じでしょうか。

お父様のそばにいて、自分を否定しながら、なにか指示に従う、受身の姿勢がイメージされます。
お父様は私の「」におられます。

それに対して「モシダ」とは、
お父様を(心に)迎える
という日本語にもっと近いというのです。

お父様は私の「外」におられるのではなく、私の「」におられる方だということになります。

私の心がお父様を主体の位置にお迎えして、心でお仕えするということです。
自分を否定して主体の指示に従うのではなく、自分の心が主体的にお父様を中心に回って一体化することで、自然に自分がなくなる。
そういう感じです。

「侍る」の原意は、私が自分の心にお父様をお迎えし、私の家庭がお父様をお迎えするということです。

それでは、心にお迎えしてどうするのでしょうか。

お父様を慕う心情を原動力としながら、生活圏の中で具体的に三対象目的を完成して、家庭を完成していくのです。
お父様を心にお迎えすることを「」だとすれば、その「種」を自分の内面から家庭の中で実らせていくのです。
三対象目的を完成した家庭が「」だと言えます。

同じ『本郷女性講座』の中に、講師を務める日本人女性自身の証があります。

韓日祝福を受けて韓国へ渡る時のことです。

その当時の日本教会の責任者たちが彼女を送り出しながら、
「今日まで一生懸命、摂理に頑張ってきたけれども、これからは何もしなくてもいいから、ただ、仲良くだけ暮らしてくれ」
と言ったというのです。

その時彼女は、その言葉の意味がよく分かりませんでした。
しかし、いざ韓国に渡り、そこで夫の家に入って暮らしてみて、初めて「仲良く暮らせ」という言葉の意味が分かってきたというのです。

ここには韓国特有の家庭生活の問題もあります。
家族の人間関係の「濃さ」が日本とは違うのです。

ただ私は、ここで言う「仲良く暮らせ」という言葉の持つ意味を、もう少し普遍的に考えてみます。

外的な活動で実績を出すことも容易いことではありませんが、「仲良く暮らす」ことも思うほど容易いことではないでしょう。
家庭の中で「仲良く暮らす」ことを、原理の表現で「三対象目的を完成する」と言い換えてもいいと思います。

「仲良く暮らす」関係の中には、夫婦関係、親子関係、兄弟関係など、基本的な人間関係のすべてが入っているのです。

そうだとすれば、この「仲良く暮らす」ことこそが私たちの信仰の目的です。
侍義時代とは、まさにこの「仲良く暮らす」ことに焦点を置く時代だとも言えます。

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田黒吾寛

No title

>侍義時代とは、まさにこの「仲良く暮らす」ことに焦点を置く時代だとも言えます。

それじゃ何故、鶴子総裁は7男と面会しないのですか?仲よく暮すならば面会?謁見?しないのはなぜですか?

それに3回忌に何故3・4・7男さん達は渡韓せず自分たちで独自に3回忌を行われたのですか?

仲が悪いからじゃないのですか?

教育部長さんが仲よく暮せと言ったところでトップが仲よく暮していないなら説得力に欠けると思うのですが如何お考えですか?

更に言うならば、日本でも韓国人幹部の逆鱗に触れたら信者はその所属の教会に居なくさせるような行為が行われているのはなぜですか?事例はたくさんありますよ?ご存知ですか?
御存じないなら御調べになったらわかることですよ?
仲よく暮せと言ったところで現実を見ると空しくなるだけじゃないのですか?

2014年08月24日 (Sun) 10:35
花火と案

教会では、顕進氏とは仲良くしないのでしょうか?
まずは、お手本が必要ですよね♪
幼子達は難しい事はわかりませんから

2014年08月24日 (Sun) 13:35
教育部長

田黒吾寛さんへ

真の家庭の様子に、私も胸を痛めている者の一人です。
式典に集まるご子女様の数が少ないことにも、寂しさを感じました。
ただ、私は、「真の家庭」というものの原理的、摂理的な位置をどう理解するかについて、慎重にならざるを得ません。「真の家庭」はただ単に祝福家庭のトップに位置する家庭というのではなく、またただ単に人類のモデル家庭というのでもないと思っています。表現が難しいのですが、我々すべての新しい血統の根というのでしょうか、我々の家庭はすべてその根から出て育っていかなければならないので、「真の家庭」と我々自身を切り離して考えることができません。
例えてみれば、根の調子がおかしいといって、枝葉が根を批判して問題が解決するものではありません。一つの運命共同体ですから、根の問題は枝葉の問題であり、逆に枝葉の問題は根の問題にもなります。
「真の家庭」に全く問題がないというのではないでしょう。しかし、根が苦しんでいるなら、枝葉も一緒に苦しみます。枝葉の問題を根が背負っているのだとも思います。
まだ少し言葉足らずな感じがしますが、取り敢えずの回答にさせていただきます。

2014年08月25日 (Mon) 22:10
教育部長

花火と案さんへ

コメントありがとうございます。
返信は、田黒さんへのものを参考になさってください。

2014年08月25日 (Mon) 23:00
田黒吾寛

No title

真摯な答えありがとうございます。
もう一つ質問です。

>「真の家庭」に全く問題がないというのではないでしょう。しかし、根が苦しんでいるなら、枝葉も一緒に苦しみます。枝葉の問題を根が背負っているのだとも思います。

では葉っぱは根っこに問題がある時、どんな事をして根っこを生き返らせたのですか?若しくは根っこを元に戻そうと努力しているのですか?

そのための具体的な葉っぱの動きって何かあるのですか?

2014年08月26日 (Tue) 20:22
教育部長

田黒吾寛さんへ

葉っぱはどうしても根に代わることはできないでしょうが、葉っぱにできることは根が願うような立派な葉っぱになることだと思っています。根の苦労は幹や枝葉に栄養を送って活かすことですから、一つ一つの葉っぱがよく育って立派になることが根を一番助けることだと思います。
具体的には成熟した祝福家庭となること。そして周辺に祝福の恩恵を拡大すること。
神様のみ旨は天国を創建することだとしても、私たち家庭毎のみ旨は自分の家庭を完成させること。そういう家庭なしには天国はできない。今すぐには探せないのですが、そういう文先生のみ言葉もあったような気がします。
現実には、我々がまだ十分立派な葉っぱになれていないために、根に大きな重荷を背負わせ続けているのではないかと思います。

2014年08月27日 (Wed) 13:11
田黒吾寛

No title

真摯なお答え有り難うございます。

今後ともよろしくお願いします。

2014年08月27日 (Wed) 22:26
kitasendo
Admin:kitasendo