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真の愛を伝播する純水になれ

kitasendo
流れる水 

皆さんに与える言葉は「天の父母様と天地人真の父母様の真の愛を伝播する水になれ」です。
水は、人、万物、動物に拘らず、生命を持つすべての存在に必要なものです。
私たちは息を少し止めていることはできますが、水がない場合はどうなりますか? 死んでしまいます。
ところで、最も大切な水が間違って使用されて、汚染されて、すべての生きものを殺すようになってはいけませんね。
皆さんは、真の父母様によって6000年ぶりに誕生した祝福家庭の Pure Water です。純粋な水です。
ですから、皆さんが行く所にあるすべての生命体が喜ばなければなりません。

去る7月22日、真のお母様(韓鶴子総裁)がハワイに行かれ、集まった青年学生の修練生たちに語られた講話の一節です。

水の神秘と素晴らしさについては、文先生が語られたみ言葉を思い出します。

水自体には固定的な形状がない。
それゆえに、どんなところにも、またどんな狭い隙間にでも入り込んで、その空間を満たすことができる。

固定的な形状がないというのは、「自分という意識」がないということです。
その意識がないので、どんな相手にでも自分を合わせることができるわけです。

それだけではなく、清濁どんなものでも自分の内に溶かし込み、包容することができます。
それで地球の生命の揺籃にもなったのです。

文先生はまた、神のみ言葉も「水」であると言われたことがあります。

どんな砂漠にも雨さえ降れば、その土地は潤い、緑地となることができる。
緑地となれば、そこに多くの生命が誕生し、生育することができる。

み言葉もそれと同じであると言われるのです。

堕落して霊的な生命をなくした人間でも、神のみ言葉が流れ込んでくれば、その心はやがて緑地帯となり、生命を取り戻して生き返ることができる。

この、み言葉が流れこむようにする川の役割をするものが「訓読」である、というわけです。
確かに、「訓」とは「み言葉」の「川」というつくりになっています。

若い青年ばかりでなく、我々もすべて「天の純水」になりたいものです。

自分というものがなく、どんなところにも入っていける柔軟な精神をもった人間。
自分の要素を惜しげなく与えながら、相手を活かしてあげることのできる豊穣な愛を持った人間。

そのために、ハワイにまで行かずとも、我々には生涯修練が必要だろうと思います。

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Admin:kitasendo