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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

あなたこそ本当の神です

2014/07/04
信仰で生きる 0
バアル

「私」の心が動いて出発するとき、あるいは「伝道しよう」と思うとき、望んでする人がいて、仕方なくする人がいて、死ぬかと思って恐る恐るする人がいます。どのようにしなければならないのですか。歓迎してするのか、やむを得ずに、死ぬこともできずに仕方なくするのでしょうか、恐ろしくてするのでしょうか。それは、みな落第です。(天聖経 888)

昨日のホームグループ書写会で訓読したみ言葉はどれも厳しいものでしたが、冒頭はその一節です。

訓読した後、一人の婦人が短い証をしました。

「訪問していて、なかなか良い人に出会えず、苦しいことが多いのですが、この前、珍しくとても良い人に出会ったんです。そのことを朝の祈祷会証して、『神様を感じました』と言ったら、教会長が『そういう時だけ神様を感じていいんでしょうか』と言われたんです。
一瞬、自分の体験を否定されたような気がして、内心ちょっと葛藤したんですが、よく考えてみると、確かに、良かった時だけ神様を感じるというのはどうなのかな、と思ったんです」

「さすがに教会長は、鋭いですね」
と言いながら、私はふと、聖書の物語を思い出しました。

旧約聖書の「列王記上」に、預言者エリヤがたった一人で、バアルの預言者450人と対決する場面があります。

時の王は、アハブ。
偶像バアルを崇拝する預言者は何百人もいるのに、主に仕える預言者はエリヤただ一人です。

バアルと主と、どちらが本当に神であるか。
決着を着けるために、エリヤはアハブにバアルの預言者をカルメル山に集めるように言います。

牛を2頭準備させます。
1頭はバアルの預言者たちに渡し、彼らが割いて祭壇に乗せます。
もう1頭はエリヤが自らの祭壇に捧げます。

その上で、こう持ちかけるのです。

「お互いの祭壇で、自らが仕える神に祈ろう。そして、人ではなく神が祭壇に火をつけてくださるなら、その神こそが本当の神である」

集まった民衆は、
「それがよかろう」
と賛同します。

まず、バアルの預言者たちが神に祈ります。
朝から昼までバアルの名を呼び続け、祈りを捧げますが、一向に火がつく気配はありません。

彼らは祭壇の周りで踊りを踊り始めます。
それでも、火はつかない。

エリヤは彼らをあざけって言います。

「あなた方の神は一体どうしたのか。考えに耽っているのか、眠っているのか、あるいは旅に出たのか」

そこで彼らは大声で神を呼び、さらには刀で自らの身体を傷つけて体から血を流しながら必死に祈った。
そうして夕に及んだが、それでも彼らの神が答える様子は一向に見えなかったのです。

それを見て、今度はエリヤがいよいよ動き始めました。
人に命じて、何を思ったか、燔祭に水をかけさせます。

そして、神に祈ります。

「アブラハム、イサク、ヤコブの神、主よ、イスラエルでは、あなたが神であること、私があなたのしもべであって、あなたの言葉に従ってこのすべての事を行ったことを、今日知らせてください。主よ、私に答えてください、私に答えてください。主よ、この民にあなたが神であること、またあなたが彼らの心を翻されたのであることを知らせてください」

その直後。
主の火が天より下って、燔祭と、たきぎと、石と、ちりとを焼きつくし、また溝の水をなめつくしたのです。

勝負ありました。

バアルの預言者たちはみな捕縛され、川に下って皆殺しにされたのです。

この勝負によって、アブラハム、イサク、ヤコブの神が本当の神であると、民衆に見せつけることができました。

しかし、その神様の心中はどうだったのか。
私はそれが、少し気にかかります。

「バアルの神など物の数ではない。あなたこそ本当の神です」
と、人間をして言わしめるために、偶像の神バアルなどと同じ土俵で競わなければならない神様。

天地を創造したほどの神様が、こんな争いに係わらなければならないとは。

神様は人の世界に現れ、その力を顕現される。

それを見て人は、
「ああ、すごい。本当の神様だ。私は神様を感じた」
と感嘆しても、神様はそれをどう感じられるでしょうか。

私達も今、どういうところで、どういうふうに本当の神様を感じるのでしょうか。

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