2人目の助っ人、現わる
私がずっと続けている毎週1回の原理講座をこよなく愛して、ほとんど休まず参加している方は、私をよく見てくれています。
先日私のブログにコメントを寄せて、
「教育部長の顔がいつもと違う。穏やかさが薄くなっているような...」
と、気にかけてくださいました。
有り難いなあ、と思います。
確かに、ここしばらく、どうも心身ともに不調で、ブログを書く気にもならなかったのです。
すると有り難いことに、その方に続いてもう一人助っ人が現れました。
私の妻です。
今朝のことです。
40日ぶりに、夢で訪ねてきてくれました。
会話の内容は覚えていませんが、何だか非常に楽しく話した感触だけは残っています。
しきりに手をつないだり、肩に腕を回したりもしました。
お尻を触ってみても、
「まあ、ちょっとぉ」
と言いながら、気にするふうもありません。
むしろ喜んでいるようにも見え、大らかに包んでいるようにも感じられます。
そんな夢を見て、目が覚めてからしばらくの間、妻のことを考えていると、改めて、
「有り難いなあ」
と思うとともに、
「妻は、霊界に行ってから、ずいぶん成長したようだな」
という気もしてきました。
知・情・意すべての面において、妻は私をはるかに凌いでいるのではないか。
そんな気がしてくるのです。
夫が具合を悪くして弱っていると見るや、霊界からさっとやって来て、心身ともに慰めてくれる。
生きている時も優しい妻ではありましたが、その女性らしい包容力はその頃より数段向上しているという実感があります。
霊界でどんな教育、どんな体験を通過したのかは分かりませんが、情の繊細さというか、純粋さは明らかに昔と違うのです。
そして、霊界で地上にはない教育や体験があったとすれば、知においても意においても成長している可能性があります。
原理を理解する知。
み旨を成そうとする意。
そのどちらにおいても、私より高いところにいて、その地点から私を見ている。
大抵は物足らなく感じているでしょうが、可能な側面からだけでも私を助けようと心がけている。
そのことは、特に原理講義をしている時に、感じることがしばしばあります。
「自分の能力では、とてもこういう講義はできない」
と思うことがよくあるのです。
今日の夕方、朝の夢のことを思い出していると、再び、
「有り難いなあ」
という思いが湧き上がってきました。
「どんなことがあっても、どんな悲惨な状態に陥ったとしても、私があなたを愛する愛だけは少しも変わらない」
と言ってくれる人が、確実にそばにいる。
これは本当に幸福なことです。
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