「私から変わろう」教会に起こる奇跡
地区本部の教会に宋龍天(ソン・ヨンチョン)総会長をお迎えして、地区全体集会が行われました。
北海道での集会を終えてすぐ来られた李海玉(イ・ヘオク)夫人は移動途中で倒れるほどに疲労がたまっておられるようでした。
それでも夫の強行的巡回に従って来られたのには、理由があります。
文先生がご存命中、欧州を巡回された折、
「宋龍天」
という名前を下賜されました。
そして、その後のある集会で、宋総会長が1人で参加されていたところ、それを見咎められた文先生が、
「妻はどうしたんだ! いつでも2人が一緒に動かなければだめだ! 龍はその口に玉をくわえていないと、天に昇れないだろう!」
と言われたそうです。
宋「龍」天と李海「玉」は、常に夫唱婦随、一心同体なのです。
いつものように、今日も先ず夫人が短く挨拶をされ、その後、総会長が壇上に立たれました。
そのメインテーマは、「ビジョン2020とは何か」ということです。
結論は、こうでした。
「皆んなが一人の例外もなく、本当に幸せな姿を神様に見せて差し上げる」
これは、非常に良いビジョンだと思いました。
しかし、そのビジョンを実現するために、どこから、どんな一歩を踏み出そうと言うのでしょうか。
「私から変わろう」
これが第一歩です。
総会長から変わろう。
李夫人から変わろう。
牧会者から変わろう。
本気でしょうか?
本日の集会で、総会長夫妻はそれを実践しようとする姿を見せてくださったように感じました。
夫人の挨拶は、日本食口への愛に満ちていました。
総会長の前半の話もまた、同様の愛を感じさせるものでした。
自らに贈呈された花束を、今日が誕生日の参加者にそのまま渡されました。
花束のない3人目には、自らの胸にあったブーケを渡されました。
そのブーケを受け取ったのは、私の教会の婦人だったのですが、帰りに聞いてみると、ブーケと一緒に「絶対精誠」と書いた自筆のサインが添えられていたそうです。
ところで、私から変わっていくと、どんなふうになるのでしょうか?
総会長の講話を聞きながら、私はこんな夢想をしました。
教会に来て、家庭生活での不平不満を、たまりきれず言うことがあります。
これまでは、
「ほんとにね。そういう夫は困るよね。何とかならないものかしらね」
と、その不平不満に同意し、同情してくれる人がいました。
このようにして私の不平不満は正当化され、
「私は可哀想な被害者だ」
という哀訴が受け入れられたのです。
ところが、どうでしょう。
最近、今までのように不平不満を言おうとすると、何だか様子が違うのです。
「ほんとにそうね。あなた、可哀想ね」
と言ってくれる人がいないのです。
不平不満を言おうとすればするほど、何だか自分が浮いてしまうような気がします。
そして他の人たちをよく観察してみると、自分のように不平不満を言葉に出したり態度に現している人が一人もいないのです!
むしろ、
「私の夫ってね、ほんとうに有難いのよ」
と、感謝する喜びの声ばかりが聞こえてくるのです。
一体、この教会には何が起こったというのでしょうか?
「こんなはずではなかった。この教会は私の不平不満を肯定的に受け止めてくれる雰囲気があったので、私は言いたくなれば教会に来て不平不満を吐き出し、それで少しすっきりして帰れたのに。これでは、私の居場所が教会にないじゃないの・・・」
この教会に起こったこと。
「私から変わろう」
このスローガンが、静かに、しかし着実に起こったのです。
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