神意にゆだねる
小林正観さんの名前を初めて聞いたのは、もう5、6年も前のことです。
「ありがとう」
の5文字は、この宇宙で最も素晴らしい響きを持っている。
この言葉を、自分の年齢の1万倍、2万倍唱えていくと、
「ありがたい」
と言わざるを得ないことが起こるようだという情報が宇宙から届いているというのです。
その時の経験は、「100万回のありがとう」に書きました。
私が小林さんに興味を抱き始めたのは、彼の提示する人生観が世の中の常識とちょっと違うなと感じたところからです。
彼は、人との競争とか、目標を設定しての努力などにあまり価値をおきません。
そのかわりに、
「流れにゆだねる」
「周囲の人に役立つ」
ことを評価します。
人それぞれが持っている人生の使命は、「使われる命」。
私が周囲の人からどれくらい使ってもらえるか、それによって私の価値が決まるというのです。
世の中では、夢をもつこと、その夢を実現するための努力を賞賛しない人はいないでしょう。
しかし、その夢が、その人にとって最良の目標だと保証できるでしょうか。
自分なりに一つの目標を設定することで、それ以外の、もしかしたら自分にとってもっとふさわしく、価値の高い目標を排除している可能性があると言えるのではないでしょうか。
それなら、自分なりに目標を設定するよりも、周囲が自分を必要としてくれる道に自分をゆだね、周囲が導いてくれる道に従って生きてみたらどうだろう?
初めのうち、私はこういう目標を設定しない生き方を受け入れがたい気がしました。
しかし何年かの時間が流れ、いろいろな経験をしながら考えるうちに、
こういう人生観は、これからの時代に結構重要なのではないかと思うようになったのです。
「人意」と「神意」。
人は人なりに、自分の人生の主人は自分だと考え、自分なりの人生を設計しようとします。
しかし、もしかしたら、神意はそれとは別のところにあるかも知れません。
自分でも気がついていない自分の能力や可能性を知って、神はもっと違う道を歩ませようとしておられるとしたら、人意はかえって妨げになるのではないでしょうか。
「私が」が強くなりすぎると、今私に与えられている神様の恵みに気づかず、今持っていないものをひたすら求める生き方となり、「感謝」の乏しい人生になるのではないかと、私は懸念するのです。
どの著書であったか忘れましたが、小林氏は大意次のように書いていました。
「自分なりの目標を設定せず、それに向けての努力もせず、ただひたすら感謝だけで生きていったら、どういう人生になるか? 40歳の頃に人体実験をしてみようと決意し、それを20年近く続けてきてみると、目標に向けてあくせく努力を続けている人よりも幸せな人生になっている気がする」
人意よりも神意に従おうとする。
従うなら、徹底的に従う。
人意を本当になくして生きてみる。
そのように徹してみたら、人生は想像以上に違った形で展開するような気がします。
【お勧め記事】
「カラスとの約束」
「人生の使命」
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