大抵の人は真理など求めていない
そこで私は女神アテネと話しました。知恵の女神です。 私はアテネにこう言いました。 「誰もがみんな、真理を求めています」 ところが彼女は、 「ベティ、それは違う」 と言うのです。 「大抵の人は真理など求めていない」 それでも私が、 「聖書には『真理を求めなさい。真理はあなたを自由にする』とありますよ」 と言うと、 「愛すべきイエスは確かにそう言いましたが、大半の人は真理など知りたくはないのです」 と答えたのです。 |
これは、「Temple of Universality」の創始者ベティ・タタラスキー女史の証です。
彼女は30年以上にわたって、文先生が創始された「中東平和イニシアティブ」国際会議に参加し、文先生の思想と業績、統一運動に対して、とても肯定的に評価している方です。
霊的な方で、1995年、ある指導的な霊の導きで一つの教団を創設しました。
彼女の証は全般的に興味深いのですが、冒頭に紹介した箇所が私には何か特に印象的であり、かつとても気にかかったのです。
女神アテネがどんな方なのか、私はよく知りませんが、「知恵の女神」と言うくらいですから、彼女自身は真理を求める人(神?)なのでしょう。
その彼女の目から見ると、この世の大抵の人間はあまりにも真理を求めていない。
本当にそうでしょうか。
本当にそうであるとすれば、なぜ多くの人は真理を求めていないのでしょうか。
文先生は、
「無知は死の影である。無知に完成はない」
としばしば断言されました。
この教会には、
「『原理』という真理がある」
と考え、
「神霊と真理の教会にする」
というビジョンも掲げています。
ところが、大抵の人が真理を求めないとすれば、どうなるのでしょうか。
今日の原理講座は「総序」でしたので、このことを参加者に問いかけてみました。
「皆さんは、伝道していて、大抵の人は真理を求めていないと感じますか? この原理講座に参加している我々は、真理を求める人だと言えるのでしょうか?」
「伝道対象者から『私は信仰を持ってきて、いろいろ教えを学んできているのに、なぜまた原理の勉強をする必要があるの?』と聞かれたら、どう答えますか?」
こういう私の質問に対して、ある婦人は、
「どんな宗教でも、善なる人間、平和な世界ということは言うけど、具体的、現実的にそれをどう実現するか。それは原理でないとはっきりしないのではないでしょうか」
と答えました。
また、別の婦人は、
「熱心な仏教徒の方と話すと、仏教の教えをいくらでも話してくださるんですが、原理の話をしようとしてもなかなか聞いてもらえない。それに、原理とは一体何なのか、なぜきいてほしいのかを簡潔に伝えようとすると、いつも難しさを感じます」
という体験談を証しました。
その他にもいろいろな意見が出ました。
私としては、「神観」という観点から、何らかのヒントになるかと思われることを話しました。
宗教によって、「神」とも言い、「天」とも表現します。
また、「エホバ」と呼んだり、「万軍の主」と尊称したりもします。
それらの「神観」と原理のそれとは、どこが違うのか。
今までの神観にはなかった、なにか重要な概念が原理の神観にはあるのか。
私は、文先生が神様を「真の父母」と表現されたことが最も重要な点ではないかと思っています。
そしてそこから、神様の創造の動機、創造の目的、被造万物の意味と価値など、これまで必ずしも明確ではなかった内容が、一つ一つ解き明かされていきます。
こういう内容をすっきりと整理してこそ、
「なぜ原理が必要か」
ということに説得力を持たせることができるだろうと思います。
しかし、いずれにしても、「真理で伝道する」というのが悩ましい問題であることは確かです。
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