すべての人が勇士である
人間は神様を占領しても安息しません。神様を占領したといって、喜んで満足するようになっていないのです。 人の欲心は、神様の心のふろしき、心臓の真ん中にある秘密の倉庫の中の愛を願うのです。永遠のこの愛を完全に占領すれば、人の欲心も、そのときには鎮まるのです。 人間は、神様の愛を占領するための競技に出場した勇士たちなのです。 (「天聖経」p.336) |
ソチ・オリンピックの真っ最中です。
オリンピックをはじめ、ハイレベルのスポーツ競技を見る度に、
「メダルに対するアスリートたちの執念は、すごいものだなあ」
と思わずにはおれません。
今のオリンピックでも、種目によっては、わずか1000分の1秒レベルでのメダル争奪戦になっています。
そのメダルを取るために、数年から数十年の間、たゆまぬ努力を続けるアスリートたち。
世界最高を目指す彼らの「欲心」はどこに由来するのか。
文先生のみ言葉を読みながら、分かった気がします。
この人間の「欲心」は、神様ご自身が人間を創造なさる時に、その心の奥深くに埋め込んでおかれた本質的な特性なのです。
現代のオリンピックではタイムや点数などが重視されますが、古代世界のオリンピックでは1位になることだけが唯一最高の価値でした。
それで、優勝すると、その記録だけが歴史に残され、さらには彼の彫像が作られ、当代随一の詩人によって英雄誕生を賛美する詩が書かれるのです。
反対に、2位や3位の競技者などは、それが誰であったのか、その記録はどれほどだったのか、まったく不明なのです。
それに対して、現代のオリンピックでは、3位までがメダル、8位までが入賞となっています。
メダル獲得者はもとより、8位までの記録もIOCによって永遠に残されるようになっているそうです。
それにしても、その栄誉に浴するのは全アスリートから見れば最頂点の一握りです。
そこに至れない大多数の人たちの「欲心」は、どこで満たされるのでしょうか。
文先生によれば、私達はすべて「神様の愛を占領する」という名の種目に出場した競技者です。
この世に人間としての命を与えられた瞬間、私たちは一人の例外なく、競技者としてのスタートを切っています。
そのレースはお互いに競い合うという側面はありながらも、誰もが自分の満足のいくゴールにたどり着くことのできるレースです。
そのゴールは、特別な能力を持った人だけのものではありません。
しかし、相当な努力が必要な競技です。
途中で諦めようにも、それでは自分の最も奥深い「欲心」が満足しないのですから、どんなことをしてでも努力し続けるしかありません。
心の筋肉を鍛え続け、険しい霊的な試練の峰や谷をいくつも越えていかなければなりません。
それで、文先生は、
「すべての人が勇士である」
と言われるのです。
オリンピックのメダリストでさえも、この「神様の愛を占領する競技」に出場してメダルを取らない限り、究極的な「欲心」を満たすことはできないはずです。
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