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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

中東会議で起こった奇跡のペンテコステ

2014/02/14
神は摂理する 1
中東和平 

米国アリゾナ州のツソンという町に「Temple of Universality」という霊的な教団があります。
1995年、ベティ・タタラスキーという女性によって創設されました。

youtube にもアップされた映像を見ると、昨年暮れに他界したネルソン・マンデラ前南ア大統領が彼女のところにやって来て、
「霊界に行って、最初にあった人が文鮮明師である」
と伝えてきたと言うのです。

マンデラ氏がなぜ彼女のところにやって来たのか。
35年も前から、彼女は文先生をよく知っていたのです。

そこで、彼女の話はいつかマンデラ氏の霊言の内容を離れ、中東平和会議に長年参加してきた貴重な体験を証します。

文先生が長年、相当な力を投入してこられた中東和平。
私もその詳細をあまり知らなかったのですが、タタラスキー女史の証には、文先生の歩みにはこのような奇跡が数知れず積み重なってきたのかと、改めて感動を覚えました。

と同時に、このような人たちの動きが、霊界との協助関係の中で、今後急速に世界中で表面化してくるのではないかと期待もされます。

以下は、番組の共同ホストであるスクーン師とのやり取りの一部です。(師のセリフを青にしています)

★★★

何度、中東に行ったのですか?

31回です。

その目的は何ですか? 何をするんですか?

宗教指導者、政治家、社会活動家など、その分野の指導者が一堂に集まるのです。

つまりアメリカから大勢キリスト教指導者が行って、アラファト議長とも会ったんですね。

アラファト議長と一緒に撮った写真を持ってくればよかったですね。今度持ってきます。素晴らしい人でしたよ。

そこで行われたことは文鮮明師の財政支援の下でなされたんですね。

ええ、これからもそうでしょう。

中東のエルサレムで超宗教の聖職者が集まって平和を祈るということですね。

それが一番のテーマです。
ピース(英語)、シャローム(ヘブライ語)、アッサラーム・アレイコム(アラビア語)、それぞれ中東の平和を祈ります。
そのスローガンを唱えながら通りを練り歩くのです。初めての集まりで全員が署名しました。
これは奇跡です。

私も知っていますよ。

今思い出しても体が震えます。その時署名されなければ、私はその後そこに30回も出席することは決してなかったでしょう。

皆さん、全ては可能です。全ては心の内で決まります。
「心の思いこそ、その人だ」とイエス様も言いましたね。

話を戻しますが、それはあなたが初めて参加だったんですね。エルサレムで異なる宗派の聖職者が全員、宣言文にサインしたと・・・。その日爆弾テロがあったんでしょう?

その日の朝です。7人が犠牲になりました。私たちのすぐ後ろのバスでした。

つまりその場所の緊張は相当高かった。

約400人の宗教指導者が無事だったことは奇跡です。ドゥルーズ派(イスラム)、ユダヤ教、イスラム、そしてキリスト教の人々ですよ。

皆そこに集まったんですね、エルサレムに。

ほとんどの人は怖くてバスに乗れないんです。反乱、蜂起の真っ最中ですから。

その文書というのは平和を誓う宣言文だったんですね。

それが6メートルもある大きなボードに書かれていました。

その署名がなかなかなされなかった・・・。
最終日まで署名されなかったのです。あなたも帰りの飛行機の時間が迫っていた。

テルアビブ空港にあと2時間以内に行かなければなりませんでした。

あなたはその部屋で待っていたんですね。

私は霊の動きを感じました。ペンテコステです。
あとは、何かささやかなきっかけだけが必要でした。

最後にどうなったか教えてください。

もうあと数分でお開きになるところでした。署名は行われないままに、です。

確かに、イスラムの人とユダヤ教徒が一緒にいて、穏やかにいくはずがないですね。

その部屋にいて、使徒行伝の時代にさかのぼる気がしました。小さなきっかけでそれは起こったのです。
そんなことが起こるなんて! そのように平和を熱望する人々を私は今まで見たことも聞いたこともありません。

私が見上げると、演壇に隠れるくらい小柄な人が立っていました。演壇のところに来たことすら気づかなかったのです。その黒のシワのついたスーツを着た人。
彼は誰かしら、と見ていると、その人は演壇のでこう言いました。

「何故ここにいるのか、何をしているのかわかりません」
彼はユダヤ人でした。
「私は宗教家でもないし、政治家でもない。19歳の一人息子を爆弾で亡くした悲しむ父親に過ぎません。しかし息子の臓器を、報復攻撃で重傷を負った10歳の女の子に提供するつもりです」

イスラエルの報復攻撃で傷ついたパレスチナの少女に息子の臓器を提供するということですね。

そのため彼は皆から攻撃されたというのです。
「敵を助けるなんて、あなたはどうかしている」
と。

「それでも私はそうしようと思う。皆さん、私の気持ちを分かってくれますか?」

その一言でペンテコステが起こったのです。もう大騒ぎと呼ぶことができるでしょう。
私はこれからもペンテコステと呼びます。愛の炎でした。

彼は意図してそうしたのではありません。
「私はそうせずにはおれない」
と言ったのです。

参加者みんなが舞台に上がり、歌い始め、それが続きました。
私は、
「神様、ありがとうござい ます。神様、ありがとうございます」
と繰り返していました。

そういうことがあって、それ以来欠かさずMEPIの行事に参加するようになったのです。

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2014/02/17 (Mon) 10:45