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幸運は偶然でも、超幸運は必然である

kitasendo
土の器 

幸運というのは、誰にでも時々はあるものでしょう。
それはしかし、偶然の仕業かもしれません。

ところが、「超幸運」ということになると、これは滅多にあることではなく、しかも偶然ではなく、必然ではないかと思わざるを得ません。

「Today's World Japan」天暦12月号に、洪孝様の稀有な証が載っています。

★★★

昨年の2月19日、東京大学の駒場キャンパス内にある生協の本屋の中で、突然倒れました。
心臓発作の中でも悪性な「心室細動」を起こしたのです。

基元節の3日前のことでした。

心臓が停止してから1分遅れるごとに生存率が10%ずつ低下すると言われます。
ところが、実際には30分近く心臓が止まっていたとみられるので、通常なら生きているはずのない状況です。

死を免れ、幸運にも蘇生したとしても、8割以上は植物人間になります。

どのような超幸運によって、残りの2割に入り、しかも数カ月後には回復し、1年後には大勢の人の前で証ができるほどになったのでしょうか。

本屋に行くと、いつもは韓国政治の書籍がある奥の方に行きます。
そこはあまり人が来ません。

ところがその時はなぜか、比較的人の多い日本文学のセクションにいました。
そこで倒れたのです。

そこにいた警備員が心臓マッサージの免許を持っていました。
さらに、東大の校医もマッサージをしてくれました。

心臓マッサージというのは、全身を使ってやるので、すごく体力を要します。
男でも1人だけでは大変なのですが、警備員と校医の2人がリレーでやったので効果的だったのです。

こういう時は熱によって脳が膨張してしまうのは最も危険なので、低体温療法というのがあります。
それができる設備は全国にわずか30箇所。
都内には2箇所しかありません。

東大から一番近いのは東邦医大だったのに、なぜか日赤病院に搬送されました。
そこにその設備があったのです。
しかも、その日は雪が降っていて、その冬一番の寒い日でした。

★★★

幸運が1つだけだったら、偶然で片づけることもできます。
ところがここには、少なくとも4つの偶然が重なっているのです。
偶然が複数、しかも4つ重なれば、どんな人が見ても「必然」を感じざるを得なくなります。

心臓に疾患があったわけでもなく、親族にも誰一人心臓疾患の人はいない。

その人が突然、心臓の異常で倒れたというのは、
「死になさい」
と言われているように感じます。

ところが、倒れた直後からは、
「どんなことをしてでも、お前を助ける」
とでも言う確固とした意思のようなものが働いているように感じられるのです。

これは、どう考えてもおかしなことです。

「死ね」と言ったのは誰で、「助ける」と言ったのは誰なのでしょうか。

よく考えてみると、
「死ぬような目に合わせるけれども、決して死ぬようにはさせない」
という意思が働いていたように思えます。

なぜこの方が選ばれたのか。
なぜそのような道を行かなければならなかったのか。

それは分かりませんが、人智を超えた力が作用したのは確かなようです。

洪孝様は入院中、次のような聖句に出会いました。

「わたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである」
(コリントⅡ4:7)

立派な宝石箱の中から高価な宝石が出てきても、それは当たり前で、誰にも衝撃を与えません。
しかし、みすぼらしい土の器から光り輝く宝が出てくれば、それは驚異的であり、多くの人々の耳目を集めます。

生きるのも死ぬのも、どうしようもない、まったく無力なのが我々人間ですが、その私が「死んで当たり前の状況で、奇跡的に死ななかった」となれば、それは私(土の器)の力でないことは明らかです。

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Admin:kitasendo