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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

霊界の妻たちが共謀したのか

2014/01/05
生活日記 0

正月早々、清平の修練会に参加してきました。
私の父が何年も前に他界したのですが、地上に残っている母との永遠の夫婦関係を出発できる手続きをするためです。

車で出発空港に着き、出国ロビーに入ると、思いがけない知り合いと再会しました。
15年ほど前、私が九州で教会長をしていた時に初めて出会った男性(M氏)です。

当時、私の妻が乳がんと分かって、手術をしたばかりの時でした。
話を聞くと、M氏の奥様も同じ乳がん。
数年前に手術をして療養中だとのことでした。

その後、私は家族で実家に帰り、治療を続けましたが、2001年の6月に妻が聖和。
その数年後、教会で開いた夫婦セミナーに講師として来ていただいたのが、その方でした。

懐かしく話を伺うと、奥様はその後も治療を続け、比較的元気に過ごしていたが、少し前から具合が悪化し始めたので心配しているとのこと。

そして今回、3回目の再会で奥様の聖和を知ったのです。
乳がんと分かって22年後のことだったそうです。
聖和から21日を過ぎ、特別解怨のための清平でした。

おかしなことに、私が清平に来る直前、古本屋で買って持って来た本が、「大往生したけりゃ医療とかかわるな」(中村仁著)でした。

妻の聖和以来、がんに関わる本は読む気がしなかったのですが、どういうわけか、この本は読んでみようと思ったのです。

中村氏は、
「ガンは放っておいたほうが痛みもほとんどなく、長生きもする」
と書いています。

慶応大学の近藤誠医師も似たようなことを言っておられます。

読みながら、私の妻の治療と最期の様子を思い出し、複雑な気持ちになります。

中村氏は、
「死に方は、家族に残す遺産である」
とも書いています。

これは非常に考えさせられる提議です。

今の多くの日本人は、死をまともに考えていない。
老化ということに対しても、抵抗しようとし過ぎている。

人は必ず、いつか死ぬ。
ならば、どのように死ぬかということは、非常に重要なことではないかと言うのです。

もう少し正確に言えば、重要なのは「死に方」ではなく、死ぬまでの「死を前提とした生き方」のほうです。

これは肉身生活をどのように生き、どのように締めくくるかということです。

ところで、私にとっても、M氏にとっても重要な問題は、肉身の生き方とその後、つまり霊界に行った妻とどのような関係を築くかということなのです。

聖和家庭としては私の方がよほど先輩なのですが、妻を愛するという本質的な部分においては、M氏の方がよほど先生だと、話していて感じます。

その意味で、「大往生...」の本を読んだ後でM氏に再会したというのは、何かとても不思議な気がします。
もしかして、お互いの妻が霊界で夫たちを再会させるように共謀したのかもしれません。

霊界の妻とどのような関係を築くかについては、今回の修練会の最後に大母様が親しく話して下さった講話が大変参考になりました。
その内容は、次回の記事でご紹介します。


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