前人未到の霊界役事はいかに進められたか
先回の記事に続き、金榮輝(キム・ヨンヒ)先生の米国における講演からまとめてみます。
テーマは、文先生の復帰摂理を霊界の観点から、特に清平との関連で時系列的に見ます。
★★★
霊界の復帰がなぜ重要か。
地上には、現在70億以上の人類が生きていますが、霊界にはおそらく数兆以上、世代にして千代以上の霊人たちが生きています。
しかも、イエス様以外に神様の血統圏内に属する霊人は1人もいなかったのです。
血統的には、完全にサタン圏の世界でした。
この霊人たちが神側に復帰されない限り、天国を取り戻すことはできません。
1997年11月29日。
歴史上で初めての霊人祝福式が行われました。(米国で行われた四千万双の祝福式と合わせて)
この中には、イエス様、お釈迦様、孔子様、ムハンマド様、ソクラテス様の5大聖人とともに、スターリン、ヒトラーを含む3大悪人も含まれていました。
これは、文先生のショック療法戦略です。
「あれほどの大悪人さえ祝福されるのなら、だれでも祝福を受けられるのではないか」
と霊人たちが考えるようになったのです。
1997年12月1日。
霊人に対する祝福の開門宣布。
「さあ、新しい時代がやって来たぞ!」
と、霊界に叫び声が響き渡りました。
1998年5月15日。
地獄の解放と天国の開門宣布。
1998年6月13日。
3億6千万双の祝福式とともに、霊肉統一祝福の宣言が行われました。
これが霊肉界祝福の道を開いたのです。
1999年2月12日。
清平において先祖解怨が始まりました。
当初は「10代」と言われたのが、今は「420代」と言われています。
神側の霊人(祝福家庭)が霊界の半分以上になれば、善霊界が世界を主管することが可能な時代に入っていきます。
今はまだ4千8百億と言われていますから、まだまだ足りません。
1999年3月21日。
サタン(天使長ルーシェル)が屈服しました。
その後は、彼の配下が動いているのです。
1999年9月9日。
九・九節が宣布され、天と地の壁が崩壊し始めました。
1999年9月10日。
三・十節が宣布され、1から10までの数がすべて神様に捧げられ、旧約、新約、成約の三時代が完全に蕩減復帰されました。
1999年10月23日。
総天宙祝福解放式。
1999年10月24日。
第4次アダム圏時代の到来宣布。
これによって、文先生が第4次アダムの立場に立たれ、過去三代の失敗したアダムの立場を越えて行かれました。
1999年12月12日。
直系1~7代の先祖祝福式が始まりました。
これにより、先祖たちが完全に神側へ移行し始めるのです。
このように霊界と深い関連を持つ一連の復帰摂理において、霊界における修練所の建設が極めて重要な要素でした。
復活論によれば、霊人たちは地上に再臨しない限り、決して復活できません。
地上で、地上人を通して原理を学ぶ必要があります。
しかし、霊界に修練所ができれば、霊人たちはその修練所で直接に原理を学ぶことができるのです。
これは、再臨することに比して、極めて効率のよい効果的な方法だと言えます。
文先生は1日も早く霊界でこの修練所を建設したいと思われましたが、地上での責任も残っていますから、それを置いて霊界に行くわけには生きません。
そこで、1984年、文先生は次男の興進様を霊界に送られるとき、
「私の代わりに霊界に送ります」
と祈祷されました。
さらに1989年、洪順愛女史(諡:大母)が霊界に行かれるときにも、
「お母様の代わりに行きなさい」
と祈られたのです。
このようにして、このお二人が文先生ご夫妻の代わりに、霊界において修練所の準備をするための精誠を尽くされるようになりました。
霊界にこの修練所が完成すると、そこで霊人たちのための100日修練会が開かれるようになりました。
この中で、彼らは自らの遺伝罪、連帯罪、自犯罪を清算するようになり、祝福を受ければ原罪までも清算することができるようになったのです。
ところが、霊界には聖酒がありません。
それは文先生が地上人を救うために、地上で作ったものだからです。
それで、100日修練会を卒業した霊人たちは地上に来て、地上で聖酒を飲まなければなりません。
それが清平修練苑における「霊肉界祝福式」です。
★★★
霊人の救済と祝福が1997年から99年までの2年余りで急速、集中的に進められたことが分かります。
3千年紀が始まる前に、その土台をすべて完了するためだったのだろうと思います。
また、神様の復帰摂理において、霊界の復帰がいかに重要か、またその摂理の中で清平修練苑がいかに重要な位置を占めるかが分かります。
しかし、一つ一つの宣布も、霊界の修練所の建設も、決して簡単にできたものではないでしょう。
目指すものは、千代以上に及ぶ霊人たちの完全復帰であり、歴史上誰も成し得なかった地上界、天界の完全天国化です。
金孝南訓母様は、その役を60歳まではやると決意しておられました。
それで60歳になったとき「もうやめたい」と懇願されたとき、文先生は、
「だめだ。続けなさい」
と強く命じられたそうです。
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