科学部長はいかにして学校を変えたか
不定期的に送られてくる冊子「不思議の友」。
編集者は森田健という、一風変わった人物です。
最近号に載っていた彼の体験談がちょっと面白いのでご紹介します。
★★★
中学2年生の3学期、担任の先生から推されて生徒会長に立候補しました。
「このクラスから誰も候補者を出さないというわけにはいかないんだ。ほら、クラスの皆んなも応援するから」
と説得され、仕方なく承諾したのです。
ところが、立候補するからには立会演説会をしなければなりません。
そのためにはビジョンが必要です。
中学校全体を良くするために生徒会長になるわけですから、
「私はどのようにして、この学校を良くする」
という改革案がなければなりません。
彼は自分なりにビジョンを考え、
「あるがままで、生き生きといられるような中学校にしたい」
と演説しました。
結果は、大差で敗れました。
「あるがまま」
では、進歩がありません。
彼を支持してくれるはずのクラスメイトたちも、あまり彼に票を投じなかったのです。
彼は大きなショックを受けると同時に、考えました。
「確かにこれでは進歩がない。しかしなぜ進歩しなければいけないのだろう?」
その日を期して、彼の生き方はガラリと変わりました。
「人に推されていやいや生徒会長になり、その立場から学校を変えようとするのではなく、ぼくはぼくの『あるがまま』で生きよう」
と考えたのです。
すぐに、科学部の部長に(自ら)立候補しました。
部員は10人、2年男子は彼だけでしたから、無投票で部長になりました。
3年生になり、本格的に科学部の活動が始まりました。
百葉箱から取った気象データをグラフにして理科室に張り出すと、それが評価されて、学校が気温と湿度の自動記録装置を買ってくれました。
次に、中世の科学者が行った実験を再現してみました。
理科の授業では、科学方程式として1行ですまされてしまうものを、1時間かけて実験するのです。
これには多くの生徒たちが興味を持って集まりました。
ほどなく、部員数が50人に増えました。
実験をしながら、彼が大声で語り出すと、窓の外から運動部の生徒たちも聞いています。
生徒会長には大差で敗れた彼が、科学部長として学内の注目を集め、部員を5倍に増やしたのです。
「いやいや」やろうとしたことで失敗し、「あるがまま」に自分の好きなことに没頭したら学校に変化を起こしました。
その後、彼は上智大学に進みました。
そこでは必ず新入生全員が受けるべき必須授業があります。
「宗教学」の科目で、神父さんがエーリッヒ・フロムの『愛するということ』という本を教科書にして講義をするのです。
その本の中に、次のような一節がありました。
「愛は自分の一番大切なものを、自分の生命を、与えるのだ。これは別に、他人のために自分の生命を犠牲にするという意味ではない。自分の中に息づいているものを与えるということである。
自分の興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分の中に息づいているもののあらゆる表現を与えるのだ」
この一節に出会ったとき、彼は、
「自分が中学3年生の時に科学部長としてやったのは、このことだったんだ」
と悟ったのです。
愛するというのは、嫌なのに、むりやり自分を犠牲にすることではない。
自分の中で本当に生きているものを「あるがまま」に表現することだ、というわけです。
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