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浄化精誠祈祷

kitasendo
a6e 

ある教会の証の中に、
浄化精誠祈祷
訓読浄化精誠日誌
という名の実践があるのを聞きました。

アイデアの源泉はハワイ発祥のヒーリングメソッド「ホ・オポノポノ」に由来するもののようですが、その実践をこれまで数年間、一貫して実践し続けているところが偉いなと思います。

「ホ・オポノポノ」に関しては私も以前から関心を持って実践もし、このブログでも紹介したことが何度かあります。
(関連記事は、この記事の最下段にあるリンク「おすすめ記事」からご参照下さい)

このメソッドのコンセプトは、
すべての人に現れる問題を私の記憶の再現と考え、その記憶をクリーニング(浄化)することによって解消する。つまり、私が全てに責任を持つ、と考える
と要約できるでしょう。

このコンセプトを基礎に置く「浄化精誠祈祷」というのは、私が面談した人のカルテを前に、
「その人の問題はすべて私の過去の記憶であり、私が責任を持つ」
という態度で祈祷します。

「あなたの問題は私が責任を持つ」
というのは、父母がその子女に抱く心情そのものなので、このような祈祷には父母なる神様がダイレクトに働くことができるとも思われます。

これは相手を全く批判しない、責任を転嫁しないという反堕落性の立場なので、相手に対してあれこれ複雑な思いを持つ必要がありません。
ある意味では、とても気持ちが楽になる方法だとも言えます。

み言葉を訓読する前にも、同様な記憶のクリーニングを実践します。
浄化された心情で訓読をすると、神様からのメッセージがよく届く。

それを日誌に書き、その日すぐに実践する。
その結果をまた日誌に書く。
その日誌をリーダーにも見せて共有し、明確化した課題、問題を一緒に祈る。

これを、
「訓読浄化精誠日誌」
と呼びます。

統一原理で言う三大祝福は、心と体の一体化を意味する「個性完成」から始まります。
確かに、私たちが遭遇するすべての問題は「私の心の問題」つまり「私がその問題をどのように受け止めるか」にあるのではないかと思います。

「浄化」というのは、この私の心を浄化して、心をゼロ状態にすることです。
それで、私に及ぶ問題を恣意的に受け止めない。
あるがままに受け止める。

真の問題は、相手や外部の現象にあるのではなく、常に自分の内部にある、と考えるわけです。

信仰の熱心なある男性が、
「妻はなかなか一緒に礼拝に来てくれない。無理は言わない。せめてそれくらいの信仰者にはなってほしいのに・・・」
と話してくれたことがあります。

そう願いながら、もう10年余りもその願いが叶わない。
妻には妻の気持ちと言い分があるのでしょう。

夫は妻を願うように変えようとして、10年間かけても変えられない。
妻は妻で、夫に自分の気持を分かってもらいたいと思って、10年かけても分かってもらえない。

お互いに相手を変えようとして、どうしてもそれができず、双方が苦しんでいるように思えます。

私たちは誰でも、似たような問題を抱えがちだと思います。

問題の所在が自分の外にあると考える。
それで、自分の外を変えようとするのですが、変えられそうで実は極めて難しい。

あまりにも思うようにいかないので、時々大声で怒鳴って脅迫し、力づくで変えようとしたりもする。
すると相手はなお一層、心を頑なにするという悪循環。

「自分の過去の記憶を浄化しよう」

この方法がもっと早く、かつ確実に、問題を解決できるのかどうか。
中途半端になっていたこの方法を、もう一度試してみるべきかと、考え直しています。

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Admin:kitasendo