復活する者、それはお前だ
今日、教会員を対象にした原理講義1日修練会を開きました。
普段、毎週少人数を相手に講義をしているとは言え、教会をあげての修練会となると、負担感も緊張感も違います。
1週間近くもかけて講義内容の準備をするのですが、なかなか思うようにまとまりません。
最近、原理講義をするときはよく『文鮮明先生のみ言に学ぶ統一原理』を参考にします。
この内容は本当に素晴らしいものです。
今回もこの本に助けを求め、すがるような気持ちで読み返してみると、序文の中に有り難いアドバイスがありました。
「講義をする前には、これからこういう講義をしますと祈りなさい」
というわけです。
「今日はこれこれの講義をしますが、神様は誰を復活させようと考えておられますか。その人がいれば、私が神様に代わって講義をし、決して逃しません」
このようなアドバイスだったので、私は文字通りその如くに声に出して祈ってみました。
同じ祈りを3度してみました。
すると、思いがけなく、即座に神様の答えが返ってきたのです。
「誰を復活させようと考えているのか。それは、お前だ」
「えっ! 私ですか?」
と咄嗟に思いましたが、その後で、
「なるほど。本当にそうだ」
と納得しました。
講義は、まず誰よりも、講師自身がそのみ言葉によって復活するべきだ。
そうであってこそ、講義を聞く人を復活させることができる。
神様は講義を受ける人たちだけでなく、その人たちの前に、講義をする私のことを気にかけていてくださる。
そういう神様に感謝をしました。
「今日の講義は、私自身が復活できる講義にしなければならない」
そう思うと、それまで自分なりに抱いていた
「どう講義したらいいだろう?」
という不安が、すっと晴れていくような気がしました。
さて、今日の講義で私は復活できたのでしょうか?
講義の内容自体の準備が十分ではないことは、私にもよく分かっていました。
原理講義は、すればするほど奥が深く、難しいのを感じます。
それでも、私にとって貴重な講義の日になったことは確かです。
よろしければ1クリック!

にほんブログ村
【おすすめ記事】
- 関連記事
-
-
自力は虚しい 2009/12/28
-
心情という内容をもって掴め 2012/10/09
-
「実体的展開」を読み解く 2017/05/15
-
人生で最も賢明な3つの実践 2010/09/05
-
スポンサーサイト