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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

少年よ、まだ風は吹いているか?

2013/08/16
鑑賞三昧 0
風立ちぬ 

ジブリオタクとも言うべき娘のお陰で、私もジブリのアニメはほとんど見ています。
その娘がこの夏「風立ちぬ」を見過ごすはずはありません。
私も関心を持って、一緒に映画館で観てきました。

ストーリーの組立も、絵の美しさも、面白い。
非常に堪能しました。

いくつか印象に残った場面を記します。

主人公の堀越二郎が少年の頃、自宅の屋根から自作の飛行機に乗って飛び立つ夢を見ます。
その夢にイタリヤの飛行機技師カプローニ伯爵が出てきて、少年を励まします。

「少年よ。飛行機には、それを操縦する者と、設計する者とがある。人には得手不得手がある。私も君も、操縦士ではなく、設計者だ」

夢から醒めて、母親に、
「お母様、僕は美しい飛行機を作ります」
と言うと、母親はただ一言、
「そうなの? しっかり、やってごらんなさい」
と答える。

とても良い母親だなと思います。

「そんな夢みたいなこと。もっと安定した仕事につきなさい」
などと大人の忠告を一言も言わない。

それで少年は、自分の夢を自由に追いました。

成長した少年は、帝大の学生となります。
汽車に乗っていた時、突然の大地震、関東大震災に遭遇します。

その直前に車上で偶然出会っていた少女里見菜穂子を助けます。
いや、実際に助けたのは少女に連れ添っていた女中のほうでした。

彼女は地震のはずみで足の骨を折って動けず、うずくまっていました。
堀越は駆け寄って、とっさの応急処置をします。

その時、カバンから出したのが計算尺です。
当時、計算尺は技術屋の必需品だったでしょう。

ところが、それを女中の足にためらいもせずにあてがい、その上から何かの布をぐるぐると巻き、固定するのです。

後は彼女を背負い、菜穂子が堀越のカバンを抱え、菜穂子の家まで送り届けます。

「お名前は?」
と聞かれるのに、何も答えず、計算尺もそのままにして堀越は去って行きます。

3つ目のシーンは、大学の仲間と食事をする場面。
堀越は一つ覚えのようにサバの味噌煮定食を食べています。

そして、サバの骨を1本箸でつまんで、
「おい、この骨を見ろ。この曲線の美しさは飛行機の〇〇と同じだ」
と言うのです。

彼は少年の夢そのままに飛行機技師を目指しているのですが、作りたいのは単なる飛行機ではなく「美しい飛行機」なのです。
それは、夢の中のカプローニ伯爵とまったく同じです。

1903年にライト兄弟によって初めて飛行機が登場して間もなく、その機能のゆえに軍事目的と結びつきました。
性能の高い飛行機を作ればつくるほど、それはより多くの人間を殺す兵器となる。

技術者としては避けることのできない矛盾でしょう。

しかし、技術者の心の中にあるのは、
「飛行機は美しい夢だ。設計者はその夢に形を与えるのだ」
という、魚の骨の曲線をそのまま飛行機に活かしたいという願望なのです。

そして、最後のシーンは、堀越と菜穂子が上司夫婦の仲人で三三九度の盃を交わす場面です。

菜穂子は結核を患っています。
それは当時、死刑宣告を受けたに等しいものでした。

それでもその女性と本当に愛し合おうとすれば、結婚するしかありません。
儚い結婚となりうることを覚悟の上で、上司に頼み、誰ひとり親戚もいないところで、夫婦の盃を交わします。

盃を交わすということは、夫婦のどちらがどんなに早く逝こうと、夫婦であるという覚悟を表しているのです。

4つのシーンともに、宮崎駿監督自身の憧れや人生観が基調をなしているように感じられます。
堀越の飛行機への思いは、監督のアニメに対する思いと重なるでしょう。

堀越は物質的なもの、報奨や昇進などといった現実的なものへの「欲のない」男です。
また、「美しさ」というものへの一途な思いが変わらない男です。

私はそういう人物像に、とても快い共感を抱きました。

少年よ。まだ風は吹いているか?

物語の中で何度も繰り返されるこのカプローニ伯爵の言葉が、なんとも言えず深い余韻を私の心に残してくれた秀作です。

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