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皆さんは管理人です

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今自分が持っている物、または自分所有の財産は、自分が少しの間管理する過程にあるというのです。皆さんは管理人です。
(『礼節と儀式』第3章 礼拝と教会生活礼節)

万物の本当の主人は神様であり、私たち人間はその管理人(主人の代理人)に過ぎない、ということです。

ここを思い違い、
「私が主人だ」
と思った途端、私は神様から離れることになります。

例えば、2万8千円で買った ipad mini は、私のものでしょうか?
2万8千円は私が働いて稼いだお金であり、それで買ったのですから、買ったものは私の所有だ。
普通はこう思って、買ったものは自分の思うように使い始めます。

ところが、こういう考え方によって私は万物との正しい関係を失い、そればかりか、神様との関係さえ失っていたのです。

もしも ipad mini が私のものではなく、誰かから借りたものであるとすれば、私はそれを細心の注意のもとに使わねばなりませんし、できれば、返すときには借りた時と同じ程度の状態で返す必要があります。
それが人から借りた者の誠意というものです。

ところがどうも、
「これは私のものだ」
と思った瞬間から、私たちはモノの扱い方がおかしくなってしまうのです。

先日のセミナーで、
「口も耳も、一見自分が生きていくためにあるようでありながら、実は人を愛し喜ばせるために設計されている」
と話しました。

これはつまり、自分の体でさえも自分の所有ではなく、神様のものであり、私は一時的な管理人に過ぎないということです。

体の中でも最も重要な部分である生殖器について、文先生は、
「皆さんは(自分の生殖器の)管理人です。管理人が主人のように振る舞っているというのです」(『宇宙の根本』第2章 人間創造と愛の理想の完成)
と、勝手な振る舞いをする私たちを諌めておられます。

私たちがこれまで神様から離れてきた理由は、どうやらこの思い違いにあったようです。
自分のものではないものを自分のものだと思い込んでいた。

自分の生殖器は、自分のものである。
自分の感覚は、自分のものである。
自分の体は、自分のものである。
自分が働いて得たものは、自分のものである。
自分の人生は、自分のものである。
自分の妻は、自分のものである。
自分の子どもたちは、自分のものである。
自分の信仰は、自分のものである。
・・・・・

しかし、これらの内どれ一つとして、自分の所有物はなかったのです。
私の所有物ではないゆえに、それを使うときにはいつも主人の心を考えてみなければなりません。
「あなたはこれを造られる時、どのような願いを持たれましたか? 私がこれをどのように使うことを願われますか?」
と。

神様は人間に、
万物を主管せよ
とは言われましたが、
万物を所有せよ
とは言われなかったのです。

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