植物には本当に心がある
人間はもとより、全ての被造物には性相と形状とがあると、創造原理の中にあります。
人間に心と体があるように、動物や植物にも同様の要素がある。
それで、人間の心は全てのものの性相に通じるというわけです。
本日の教育部長会議で講義実演をした1人の教育部長が、この内容に触れた講義の中で、面白い実例を上げてくれました。
ある研究者が同じ種類の植物を並べて、ひとつの実験を行った。
同じ環境で同じ栄養を与えながら、一方は水遣りをする度に「美しいね」と褒める。
もう一方は、「お前はダメだ」と貶す。
「このようにすると、どちらがよく育ったと思いますか?」
と講師が質問するので、これは馴染みのある話で、賢明な教育部長たちはみんな褒められたほうの植物に手を挙げました。
これで講師と受講者とのやり取りは円満に進んだように見えたのです。
ところが、講師は、
「皆さん、そうなんです。褒められたほうの植物がよく育ったのを見ると、やはり植物にも人間の心に通じる要素があることが分かりますね」
と言いながら、その後日談を教えてくれたのです。
「初めのうちは褒められたほうの植物が元気によく育ったのですが、しばらくすると段々と元気を失っていったんです。反対に、貶されたほうの植物が次第に元気になっていった。どうしてこんなふうになったんでしょうか?」
「これは本当の話かな?」
と思いながら聞いていると、講師の解説はこうでした。
「褒められた植物は初めのうちこそ喜んだんですが、その内に、『ああ、これは実験だ』ということに気がついたんです。『実験的に褒められているだけであって、本心から褒めてくれているのではないんだ』ということに気がついた。反対に、貶されていたほうは『ああ、これは本気で貶されたのではないんだ。本当は嫌われていないんだ』ということに気がついた。皆さん、植物には本当に『心』があるんです」
植物の心は、人間が本心から褒めているのか、貶しているのか、それに気がついたというわけです。
その植物に真相を聞いたわけではないので本当の話かどうか分かりませんが、意味深長な話だと思いました。
私たちの心は、初めのうちこそ「言葉」に反応するのですが、しばらくすると「言葉」の背後にある「本当の心」を察知するのです。
植物でもそうなら、人間は尚更でしょう。
神様なら、初めからお見通しでしょう。
その神様が造られた世界では、ごまかしは通じない。
弁解も奸智も美辞麗句も通じない。
最後には本物だけが残る世界でしょう。
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