本棚にいた私の妻
昨日の記事に書いた「天一国国民の基本義務と使命」7項目の4番目は、
「地上で完成した霊界人になる」
というものです。
「地上で霊界人になれ」というのは、ちょっとおかしな感じもします。
それは「死んで霊人になれ」ということではなく、「霊界に拍子を合わせて生きよ」という意味でしょう。
私自身、
「霊界はこの世と全く違う世界ではない」
とは考えながらも、自分には霊感が乏しいと自覚しています。
そうすると面白いことに、昨夜本棚を片付けていると、
『亡くなった家族との会話』
という本が目に止まったのです。
聖和者家庭懇談会の出版で、発行日が2011年12月24日となっています。
1年以上前に入手したものに違いないのですが、読んでみると、後半の内容はあまり記憶にありません。
その中に、こんな一節があります。
まず自分の意識変革が必要です。霊界というと、特別の能力を持った人しか感じられない世界と思い込んでいて、霊界との交流を最初からあきらめている人がほとんどです。 しかし、直感や胸騒ぎ、夢などの世界は霊界と関係している世界であり、本来は人間の心が霊界の中心であり、霊界は目に見えず感じられないだけで、全く同じ世界の中に私たちはいるのです。 |
「全く同じ世界の中に私たちはいる」
これが、まさに「地上に生きる霊界人」です。
それでもやはり、霊界とどのように交流すればいいのか。
いろいろ試してみてもうまくいかなかった私には、ちょっと戸惑いがあります。
もう少し読んでみると、こんなことも書いてあります。
自分が霊能力を高めて交流すると考えずに、夫婦、親子の愛情力を集中して交流すると考えてください。 |
「霊能力」ではなく、「愛情力」。
この言葉に出会って、私は考え込みました。
今私が地上に生きている霊界人であるのなら、確かに、霊界に生きている霊界人たちと交流するのに特別な霊能力は必要ないかも知れない。
霊界は愛の空気が充満した世界だという。
その世界で最も早く、最も強力で、最高のコミュニケーションツールが「愛」だとしても、おかしくはない。
そのような愛が私にどれだけあるか。
それをこそ問わなければならない。
私が妻と暮らした10年間に、どのような愛の密語を交わした記憶があるだろうか。
彼女と行動を共にした喜びの記憶がどれだけあるだろうか。
お互いの愛の確認をしていたのだろうか。
そして、これから後数十年、彼女と肉体的な共同生活はなかったとしても、霊界で再開した時に、どれくらい自然にブランクを取り戻せるだろうか。
聖和者家庭には「メリット」があるとも書いています。
先ず、意識次第で1日24時間、1年365日一緒にいることができる。
そして、コミュニケーションが難しいだけ、それをうまくするための努力ができる。
地上で一緒に暮らしていた頃、毎日顔を合わせているので、ある程度心が通じていると思い、互いに愛も感じていると思っていました。
しかし今になって思えば、私は妻の心をどれだけ分かっていただろうか。
彼女の心の言葉にどれだけ耳を傾けていただろうか。
彼女に話しかけても言葉が返ってこなくなってみて、とてももどかしさを感じるようになったのです。
彼女の心を感じ取ろうとする集中力。
すぐには返ってこない反応を待ち続ける忍耐力。
そういうものが、格段に要求されるようになったのです。
しかし、これが私に与えられたメリットでした。
このことを通して、神様は私の愛を育てようとされたのだと考えることもできます。
昨夜、私の妻は本棚にいたのです。
そして、私がその1冊の小さな本を手に取るように、一生懸命念じていたのに違いありません。
基元節を過ぎて、私にはまだまだ悟るべきことが多いようです。

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