不精な健康主義者
40歳を迎えた頃から定期健康診断の案内が届くようになったのに、これまで教会が提供してくれた血液検査以外、一度も行ってみたことがありません。
生来の不精もあるし、異常を指摘されたらどうしようという小心さも手伝っているようです。
ただこれには、弁解の余地がなくもないのです。
昔読んだ医療関係の本で、
「熱心に定期検査を受けているグループと一度も検査を受けたことのないグループとの罹病率を追跡調査したところ、意外にも前者の方が高かった」
という話を読んだことがあります。
また、小林正観氏の著書にも同様の話があります。
玄米が体にいいというので玄米だけを一生懸命食べている人と、白米だけを食べている人を1,000人ずつ調べたところ、罹病率はやはり前者の方が高かったというのです。
私自身、さほど体が丈夫な方ではないので、昔から健康法には関心があり、いろいろなものを試してきました。
ある時期は、朝食抜き小食健康法というものを聞き、1年近く実践したことがあります。
カロリーをかなり落とすため、さすがにだいぶ痩せましたが、朝が苦手だった私が、毎朝6時前にはひとりでにぱっと目が覚め、爽やかに一日を出発できるようになったのはありがたいことでした。
胃腸の負担と睡眠時間には密接な関連があるのがよく分かりました。
またある時には、動物蛋白を魚だけにする菜食生活もしてみたことがあります。
これは2年ほど続けた後でやめてしまいました。
これにはいくつかの理由があります。
① 菜食生活はふつうに肉も食べる人たちから嫌われる。
せっかく美味しい料理を出しても、肉を避け、野菜だけを選別して食べる人を見るのは、快いはずがありません。
② 自分自身の中にストレスが溜まる。
芳香漂う肉料理を前にして、
「いやいや、肉は体によくない。血を酸性にする」
などと言い聞かせて、我慢をする。
それがかなりのストレスになるのです。
それである時、こういう疑問が湧いてきました。
「肉を食べない身体的恩恵と、我慢をする精神的ストレスとを差し引いたら、プラスになるか、マイナスになるか?」
玄米食者の罹病率が高い理由は、
「これが着色料、これが添加剤、これが防腐剤、だからこれも体に悪い、食べてはいけない」
と体に言い聞かせながら食べるので、食べたものがすべて敵に回ってしまうからではないかという気がします。
せっかくの玄米も敵に回して食べるくらいなら、
「美味しい白米さん、今日もありがとう」
と言って、白米を味方にして食べる方がよほどいいのではないでしょうか。
健康情報に詳しくなり、それを実践するようになると、それを知らず白米を食べ、着色料お構いなしの人を、知らず知らず軽蔑するようになるものです。
これは私自身が経験した心理で、万人に当てはめるには難があるかも知れません。
しかし、こういう心理は心の内に自ら毒を作るので、警戒する必要があります。
このように見ると、病気の一番のもとは、果たして外から入ってくるものか、あるいは自分の心が作り出す毒のせいかと考えざるを得ません。
一面的に心の面ばかりを言うのは偏狭かと思いますが、敵を作るよりも味方を作る心を養い、なおかつ、その心に順応して体に良いものを自然に欲する体を作っていくというのが、最も理想に近い道ではないでしょうか。
最近の私は、白米食で、肉も食べればインスタントラーメンも食べます。
ただし、どんな時も食べ過ぎだけはできません。
これは私の胃腸が弱いせいなのですが、有難いことに、これが努力不要の天然食事管理となっています。
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