fc2ブログ
line-height:1.2;

良きパートナーへの道

kitasendo
6025 

今や広く世の中に普及している「コーチング」というものがあります。
教会によっては、教会員の指導やゲストの導きに活用しようと取り組んでいるところもあると聞いています。

私自身、関心はありながらも、格別の勉強をした者ではありませんが、先日聞いた講義の中に「コーチング」に触れた箇所があり、少し心に残ったことがあるので、記しておきます。

コーチングには、3つの哲学がある。

① すべての人間は無限の可能性をもっている。
② その人に必要な解答は、すべてその人の中にある。
③ 解答を探すには、良きパートナーが必要である。

①と②は、コーチングにおける人間観と言っていいでしょう。
人間が持っている能力を極めて高く評価しています。

これは、創造原理から見ても正しいだろうと思います。

神様は人間を創造した後、とても喜ばれて、
「生めよ殖えよ、地に満ちよ。よろずのものを治めよ」
と祝福されました。

このような祝福を与えられたということは、人間にはそれを実現できる能力が与えられているということです。
その能力を「無限の可能性」と言っていいでしょう。

コーチングはこのような人間観に基づきながら、実際に問題を解決するには「良きパートナー」が必要だと考えます。
この役割を果すのがコーチングです。

私が娘や教会員と話す時、その人たちには「無限の可能性」があり、さらに「問題解決の解答」までもっていると考えてみます。
すると、私が何かを教えてあげる必要はない。
ただ「良きパートナー」になってあげさえすればいい、ということです。

さて、それなら、「良きパートナー」とは、一体どんな人なのだろう?

最近、娘がちょっと落ち込んでいて、何度か同じような話をしてきます。
「私は友だちの幅が広くない。あまり人に好かれないタイプじゃないかと思う」
と言うのです。

昨夜も、コタツに入って私がブログを書いていると、私の膝の上に娘が頭を乗せて寝転び、学校の友達関係を事細かに話し始めました。

「あの子はこうだ。あの子のああいうところは嫌いだ。あの子は見た目はつまらなそうだったけど、話してみるとすごく楽しい子だった・・・」

そういう話が延々と続きます。

その話を聞きながら、私も心の中では、
「級友に好かれていないというが、君は級友をどのように愛そうとしているのか?」
などと思うのですが、口には出しません。

そして、
「娘自身の中に、この問題をどのように克服できる解答があるのだろう?」
と思い巡らせてみます。

しかし、私にはその解答が容易に思い浮かびません。
それで結局、その時の私は娘の話を、頷きながら、時折相槌を打ちながら聞いているだけなのです。

少し情けないなあ、という気がします。
「これではまだ、あまり『良きパートナー』とは言えないだろうな」
と思うのです。

よろしければ1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ
にほんブログ村

【おすすめ記事】
関連記事
スポンサーサイト



コスタ

母親がおられないのによく娘さんを愛しておられます。頭を教育部長さんの膝に置くことが証明しています。涙が出ました。頑張りましょう。

2012年12月22日 (Sat) 02:48
kitasendo
Admin:kitasendo