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宗教圏内の囲い

kitasendo
夢の話 

少し変わった夢を見ました。

教会主催の修練会に参加しています。
講師やスタッフの印象はありませんが、参加者の中に孫正義さんがいたことだけが記憶に残っています。

修練会ですから、当然修練会のスケジュールがあります。
それほどきついスケジュールではなかったようですが、孫さんは皆から少し離れたところに寝そべるようにしながら、何か熱心に調べものでもしているふうなのです。

「修練会のスケジュールに沿ってないようですが、何を調べておられるんですか?」
と尋ねると、孫さんは、
「僕はこの期間、お金について徹底的に知らなければならないと思って、それを調べているんです」
と答えました。

(さすが実業家だな)
と思いましたが、どうも金儲けのために勉強しているのではなさそうなのです。

これは夢の中で私が受けた印象なのですが、孫さんは、
「この世のお金はどういう仕組みになっているか。それを正しく知らないと、正しく使うことができない。正しく使えないと、この世を『お金のある正しい世の中』にできない」
と考えているように感じられました。

そして、
「こういう勉強はとても大切だな。彼はお金を正しく使う仕組みを作ることで神の理想実現の一翼を担おうとしているのだ」
と(やはり夢の中で)思ったのです。

夢から醒めて、このことをもう少し考え続けました。

文先生のこういう御言があります。

今まで統一教会の教会員達は、宗教圏内の囲いから抜け出せずに、そこに囲まれて生きて来ました。その過去の習慣的な全てのものを清算できなかったこの事実を、今日、どのようにして清算するのかという重要な起点に来ています。
( 
200812日・25回愛勝日)

統一教会は宗教だと思ってきたのに、なぜ「宗教圏内の囲いから抜けだせ」ないことを指摘され、なおかつ、宗教的な過去の習慣性清算すべきだと言っておられるのだろう?
その意味が、私には難解です。

ただ、今朝の夢を元に考えてみると、私の観念は次のようなものだったのではないかと思います。

「神のみ旨を成すためには、伝道しなければならない。伝道するためには御言を教えなければならない。教えるためには修練会に参加させなければならない。そこで御言をよく理解してこそ、その人は変わり、天国建設の同参者になる」

だからこそ、修練会に参加したら、そのスケジュールに従ってよく御言を学び、よく理解して自己変革しなければならないと考えるのです。

しかしこのような考え方自体が「宗教圏内の囲い」 だったのかも知れない。

「◯◯教」という線を引いて、その内側と外側を分ける。
外側の人を内側に入れなければ、◯◯教の目的は達せられない。

従来の宗教はどれも、基本的にこのように考えて宗教活動をしてきたでしょう。

しかし、この「線の枠を広げる」という考え方では、いつまでも「線の内側」と「線の外側」は対立関係にあるままです。
外側の人たちにとって、内側の教えは人ごとであって、役に立つようには思えない。
価値を感じられないのです。

再び文先生の御言を見ると、

世の中を愛せない人は、救いを受けることができません。
(『文鮮明先生の御言に学ぶ統一原理』前編 p.273)

とあります。

私は最近、マザー・テレサのことをよく考えます。

彼女は、スラムでの奉仕活動を決してキリスト教布教の「手段」とはしませんでした。
また、彼女の名前での募金もしませんでした。

彼女のやり方に対して、
「キリスト教伝道の教会方針を無視する個人的行為」
と批判する人たちもいました。

これは、キリスト教という「宗教圏内の囲い」の中から出てくる批判のように思えます。

この批判に対して、彼女の応答はこうです。
教会成長より大切なものがあると思います。目の前の困っておられる人に、何かをさせていただけたらと祈り、少しずつでも実行していくことと感じてます」

彼女の中には、「線の内側と外側」という意識がなかった。
彼女は外側の人を見ても、その中に「キリストの顔」をいつも見ていたのです。

彼女が87歳で亡くなる時、
「葬儀は質素にして下さい」
と言い残したにも関わらず、ヒンズー教徒たちの弔問が跡を絶たなかったため、インド政府は急遽、国葬にしたのです。

少なくとも彼女をめぐっては、「宗教圏内の囲い」が壊されたのです。
他教の人たちは、彼女の教えにではなく、彼女の行動に価値を感じたのです。

これから、お金の仕組みを改善することによってこの世の人々を幸せにする孫正義さんのような専門家(現実の彼はどうか分かりませんが)が教会からたくさん出てきてこそ、この世の人々はその行動に価値を感じるのではないか。
これはまだ、夢の続きでしょうか。

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tenmondai

今の教会は「宗教圏内の囲いから抜けだせ」ていないということでしょうか。紀元節を迎え、いろいろなものが変化していく中で、最後まで変化しないのが教会に(特に本部)ならなければ良いが、と思っています。
将来に希望を持つのは大切なことですが、地に足が着いていない観念的な希望ではならないと思いますが如何でしょう。
マザーテレサの言葉では「愛の反対語を知っていますか?愛の反対語は無関心です。」が一番好きです。
私達は、今までいわゆるこの世に対し無関心すぎたような気がします。

2012年12月11日 (Tue) 15:34
hide

孫さんは私の高校の1年か2年後輩です。アメリカに行くために高校を1年で中退されたときのことを少しだけ知っています。そんな関係から孫さんを伝道しなければとずっと思いながら何もできずに来ました。天が期待し、天が相対できる人物であることは確かです。

2012年12月12日 (Wed) 00:36
hide

メシアが地上にいらっしゃらないのに、箱モノを造ったり事業を継続するために大金を集める必要があるでしょうか。そういうことは、後世のもっと優れた人たちがするでしょう。これからは、メシアの代身となって、苦しんでいる人、悲しんでいる人、絶望している人、世界中に無数にいるそんな人たちを愛するために、献金を使うべきです。

2012年12月12日 (Wed) 01:08
nishimura

昨日、教会で行われている伝道学校の中で、お父様は、お父様を嫌いな人も愛してこられた、
という内容があったんですが、いまさらながらに心に響きました。

今日のこの"宗教圏内の囲い”の内容をとうして神様が私に今考える時間をくださっているようです。

2012年12月12日 (Wed) 07:30
-

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2012年12月14日 (Fri) 21:42
kitasendo
Admin:kitasendo