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教育部長の講義日記

家庭連合の教育部長として、統一原理を講義し、思索する日々

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講論に沿った講義の壁

0099 

昨日の原理教室担当者研修会について、もう少し書きます。

本部のT教育部長は全国各地で原理教室を指導しておられるので、ある地区での印象深い証しを一つされました。

「ある教育部長が原理教室に参加して、こんなことを言うんです。『自分はこれまで毎日のように原理講義をしてきたのですが、この3年間、1人も生かすことができなかったんです』。
その人は、講義を聞くと上手な講義をするんです。話し方もなめらかだし、理路も整然としている。それなのに、なぜ1人も生かせないのか。
み言葉とは、一体何でしょうか。何が人を生かすんでしょうか」

このように問いかけながら、T部長は自分の体験を話されました。

「私もCARPの時代から今まで、長い間講義をしてきました。それで自分でも、結構うまい講義をすると自負してきたんです。巧みな例を出したり、面白くて人を引きつける話もできると。
でも、チャート講義に移って、予想もしないカベにぶつかったんです。今までのような面白い例題が出ない。融通無碍な話し方ができない。
なぜだろうと悩みました。
考えてみると、今までは原理講論に沿った講義ではなかったんです。講論の見出しだけは黒板に書くけど、あとは自分なりに自由に語っていた。そういうことに気がつきました」

ベテラン講師のこの真摯な告白を聞きながら、
「ああ、私もまったく同じだったなあ」
と、心の中で認めざるを得ませんでした。

自分では、講論に基づいた講義をしていると思い込んでいたのです。
しかしよく考えてみると、見出しからして講論通りではなかった部分もあった。
講義の筋書きは、大まかには外れていないとしても、かなり自分なりであった。

率直に言ってしまえば、それはほとんど「自分なりのストーリー」ではなかったのか。

「しかし、原理講論に沿った講義のカベを越えていかないと、講義に神様の命の息が吹き込まれないのではないか。その『神様の生命の息』だけが、ほんとうに人を生かす力ではないのでしょうか」
というのが、T部長の結論でした。

然り、アージュ。

上の教育部長が「1人も生かせなかった」という時、それが何を意味しているのか、やや曖昧ではあります。
「生きる」というのがどういう状態を指すのかは漠然としています。
また、人はまったく講義だけで生きるというものでもないでしょう。

にも関わらず、やはり「講義の力」は大きいのに違いないと思います。

これからの統一教会の原理講義はどうあるべきか。
これは、今の我々だけの問題ではありません。

どのような原理講義のスタイルを後代に残せるか。
一世が懇切に積み重ねた講義スタイルの伝統を二世に残す。
それもまた重要なことだろうと思います。

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2012-12-01 * - [ 編集 ]