「愛の原則」をめぐる対立
人間始祖アダムとエバがどのように堕落したのか。
その堕落の動機と経路について、文先生ご自身の説教を集めた『文鮮明先生のみ言に学ぶ統一原理』から学んでみようと思います。
エデンの園には5人の男性がいました。
男性格主体であられる神様をはじめとして、アダム、そしてルーシェル、ガブリエル、ミカエルの3天使長です。
それに対して、女性はエバ一人でした。
「取って食べるな」
という戒めは、唯一の女性であるエバの愛の問題への強い警告でした。
ルーシェルがエバを誘惑してきた時、
「天使長がこのように言ってくるのですが、どうしましょうか」
と神様に尋ねるのがエバの責任分担5%だったのです。
普通には「取って食べない」のが責任分担5%と考えますが、ここでの文先生の説明はちょっとニュアンスが違っています。
神様に尋ねないで行動したために問題が起こったのです。
エバが善悪の木の実を取って食べて堕落した後、彼女はアダムにも食べるように勧めました。
それは、
「愛し合おう」
ということです。
この時、2人の間に対立が生じました。
エバは目を見開いて、
「取って食べなさい」
と言い、アダムは、
「嫌だ」
と拒否したのです。
それでもエバがすがりついてくるので、アダムは見るに見かねて仕方なく、
「それなら、好きなようにしなさい」
と言ってしまいました。
この争いの種を受けて、その血統を受け継いだ子孫たちは心と体が争うようになったのです。
私たちの心と体が今もなお葛藤し続けているその起源は、「愛の原則」をめぐる対立だったということです。
この堕落論の箇所に限らないのですが、文先生の原理講義を読んでいると、ほとんどの部分が「愛」を中心とした原理として語られていることが分かります。
「愛の力は原理の力よりも強く創造された」
と原理講論にありますが、まさに愛が原理を支配しているのが感じられるのです。
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