問題のない家庭はない
地区主催で行われた「二世祝福父母セミナー」に参加してきました。
参加者は高校卒業以上の子女を持つ父母。
その数は280名を越えて、地区本部の教会の2階の礼拝堂には入り切れず、3階4階まで溢れました。
これまでは本部が主催し、会場は東京でしたが、地方の父母たちはほとんど参加できません。
今後は全国12地区がそれぞれ行うようになる方向で、今回はその第1回でした。
「問題のない家庭はない」
これが、二世祝福を考える出発点のように思いました。
かなり辛い現実ですが、それを認めるしかありません。
二世の祝福は、我が子の結婚相手を探すということに留まる問題ではないようです。
二世の祝福を通して、一世も祝福の原点に帰るようになる。
一世が祝福以後これまでやり残していた課題を、二世の祝福を完成させる過程で補足するのです。
そう考えると、祝福というのは我々の信仰と愛の最終的な結晶です。
1960年以来40年余りにわたって、マッチングは文鮮明先生がしてくださいました。
それが2000年代に入って、一旦父母マッチングになり、それから再び文先生のマッチングが復活。
先年は、文先生が突然、二世本人に「相手を探しなさい」とその場で命じられる「本人マッチング」もありました。
このように見た目には3種類のマッチングがあるように見えますが、本質はまったく同じです。
文先生のマッチングは、神様が準備された人を文先生が探し出してくださる。
父母マッチングは、神様が準備された人を父母が探し出してくる。
本人マッチングは、神様が準備された人を本人が探し出してくる。
「神様が準備された人を」
という本質部分は、何ら変わらないのです。
私たちが本当に純粋に無心になれば、文先生に働かれた神様は、父母にも二世本人にも働かれるのです。
しかし、父母マッチングを命じられた後、数年たって、文先生は自らのマッチングを再び始められました。
その理由は、「父母の中にマッチングの伝統が立っていない」と見られたからです。
文先生がなさるマッチングは神業のごとく素早いのですが、
「その時は、刑務所に引かれる思いだ」
と語られたことがあります。
それほどに霊的な重荷を背負っておられるということです。
数千数万のカップルの永遠を決めるのです。
生易しいことであるはずがありません。
父母マッチングとは、これまで文先生がお一人で背負ってこられたその霊的な重荷を、父母自身が分担して背負おうということです。
しかし、父母の中には自分なりの基準で相対を探す人たちもあったのです。
文先生がマッチングしてくださるという場に二世たちが集まった時、文先生が突然、
「自分の相手を自分で探しなさい」
と命じられたことがあります。
予想もしない指示に、本人はもとより、スタッフの間にも混乱が生じました。
あるスタッフが文先生に、
「それは、この場で本人たちが自分の相手を自分で決めなさいということですか?」
と確認すると、文先生は、
「そう言った通りだ。15分で決めなさい」
と言下に言われたのです。
しかしその場で、慌てていない二世もいたのです。
その場に来た時から、
「私のために神様が準備された人がいるはずだ」
という無心で臨んでいた二世は動揺しなかったのです。
こういうところに、一世(父母)と二世の信仰の結晶があるように思えます。
「問題のない家庭はない」というその問題がどこから生じたのか。
それを深く、的確に掴まなければならないという思いを強くします。
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