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原理講座をいかに始めたか

kitasendo
52158 

10月に入ってから原理講座を始め、1週間に2講座というスローペースで続けています。
今日はその2講座が重なって、それぞれに5人ほどの教育生、食口(会員)が参加しました。

一方は初回、もう一方は4回目(創造原理第3節)。

初回にはこれから行う講座の趣旨や概略を説明します。
基本の流れは原理講論に沿ってやりますが、内容は原理本体論を含め、特に創造原理を詳細に学ぶというのが、その概略です。

なぜ本体論を含めるか。

第一は、本体論の内容こそ、文鮮明先生が本当に人類に伝えたいことだった。
第二は、本体論を深く理解しないと、心情と原理の本体である神様を正しく知ることができない。

もっとも、私自身も本体論をどこまで深く理解しているか自信はないので、受講生はある意味「実験台」です。
講義をしながら、私自身もその理解を深めていけるという立場を受講生にも了解してもらっています。

神様の最も根本的な属性は「心情」である、ということを、先ず説明します。

心情とは、愛することを通して喜びを得たいという抑えがたい情的衝動である

難しい定義のように感じられますが、これが本体論の核心であり、ここから二性性相の神様、創造の動機、人間の責任分担など、重要な内容が全て出てくるので、是非しっかりと覚えてくださいと念を押します。

それから、原理講論と原理本体論の観点の違いを少し説明します。

原理講論では、神様を帰納法的に探ります。
つまり、被造世界を観察し、すべてのものが二性性相になっているという証拠を列挙して、
「その原因である神様も、当然二性性相でなければならない」
と言うわけです。

それももちろん間違っているというのではありませんが、言わば、下から上を見上げるような視点です。
それに対して本体論は、被造世界を根拠とせず、直接神様の中に入っていって、そこで神様を知るという演繹的な知り方をします。

それで、
「神様が二性性相であられるので、被造世界も必然的にその神様に似て二性性相として存在する」
と説明するのです。

言わば、上から下を見降ろすような視点です。

今までは、堕落して罪と堕落性がある「自分」を中心として神様を見てきました。
それに対して本体論では、神様の中から「自分」を見ますから、堕落した「自分」よりも、創造本然の「自分」を見るようになります。

このような見方は「自分」だけに当てはまるのではなく、「他者」に対しても、そっくりそのまま当てはまるのです。
だから、妻は夫を、夫は妻を、父母は子どもを、神様の視点で見ることを促すようになります。

このようにして、私たちは「古い服」を脱いで「新しい服」に着替えなければならないのです。

大体このような話をしてから、総序、創造原理へと進んで行きます。

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Kyoko Andersson

被造世界の根本

こんにちは


お久しぶりです。
10年ほど前、原理講論を「訓読と質疑応答形式」で学んでいる時、(二性性相を学んでいた時)
「神様の創造の動機が神様の心情である。全ては神様が人間を愛したいが故に創造された。被造世界は神様が人間を愛している証である。全ては愛で創造された。全ては愛の世界である。」と気がつきました。というか、それが私にとって、とてもショッキングな気付きでした。

そして、その夜、何と、聖霊が降りてきました。
神様の愛(光)が滝のように私の頭から全身包むように流れて尽きる事がありませんでした。それが鈍感な私にも見えたし、感じたんです。まるで、映画や漫画に描かれているようにです。それで、涙が激しく流れ留まる事を知らず、ただただ感動と愛に包まれている自分でした。

今回の投稿からその事件を思い出しました。何故、聖霊体験をしたのか?それは神様の心情が「神様の最も根本的な属性である。」が故だったからではないかと思いました。そして、それが原理本体論の根本である事を聞いて納得がいった思いです。有難うございました。

2012年10月18日 (Thu) 06:42
教育部長

Re: 被造世界の根本

素晴らしい体験の証しをありがとうございます。
私たちは神様の根本属性に「似ていく」プロセスが、まさに成長と完成であると感じています。
「心情の私」になることができれば、ほとんどの問題は解決するだろうとも思います。

2012年10月18日 (Thu) 08:42
Kyoko Andersson

現在、オセアニア大陸の会長である金先生が我が教会の教区長でいらっしゃった時に、原理講論を「訓読と質疑応答形式」で学ぶ機会が有りました。訓読はペアを組んで、読みあい、区切れの良い所で質疑応答の時間となります。最初はペアで質疑応答ですが、そこで解決できない場合は全体の質疑応答にもって行きます。そこで、それぞれが意見を述べ合って、最後に金先生が答えをまとめて下さいました。

この形式が私の原理に対する理解を深めさせ、長年の霊的な御言葉に対する厚い壁が取れました。それは丁度、子供達の学ぶ経過と同じで、一つの小さな事が分からず、引っ掛かってしまうと、それ以上、上に進めないと言うのと同じで、私達の御言葉の理解度(特に原理講論)も小さな疑問が御言葉の理解度を妨げていることがあると、その時、気がつきました。

この学びの形式は個人の基準に沿った方法ですので、素晴らしく沢山のメンバーを復活させました。残念ながら、先生は今オセアニアですので、オセアニアの兄弟姉妹はその恩恵をうけていると思いますが、それがグローバルに恩恵が広がっていないので、この場を通して、聞かれてもいないのに、書かせてもらいました。

2012年10月19日 (Fri) 04:40
教育部長

質疑応答形式

貴重な体験とアドバイスをありがとうございます。
今日では原理を学び実践する方法として原理教室もありますが、「質問」という方法はあまり取り入れられていません。通常の原理講義をしても、その後に質問をするということはあまり多くないのが現状です。
確かに私たちの思考は「質問」をして、それに「回答」するという形で発展すると思います。これからの参考にさせて頂きます。

2012年10月19日 (Fri) 07:50
-

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2012年10月19日 (Fri) 22:08
Kyoko Andersson

講義だけですと受講者の意識や思いに関係なく一方的で実際に本人が理解しているのか、理解したいのかが中々見えないものですね。質疑応答の時間があると原理の御言葉を中心とした兄弟姉妹の会話、授受作用が始まり、今までには無い縦的な深い兄弟姉妹の絆が築けるし、本当に神様を中心とした兄弟姉妹と感ずる事ができて、とても復活する時間となりました。

2012年10月20日 (Sat) 03:08
kitasendo
Admin:kitasendo