fc2ブログ
line-height:1.2;

心情という内容をもって掴め

kitasendo
2010 

本体論教育のノートを見返していると、堕落論の箇所に次のような記述がありました。

「エバは堕落したくて堕落したのではない。信じる心が神よりもサタンに向かった。
エバ『なぜ(善悪の実を)食べたはいけないのか? なぜ神は見えないのか?』
天使長『(善悪の実を)食べたら(神が)見えるようになるでしょう』」

モーセがシナイ山で40日断食をして神から受けた十戒の第二が、
あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない
と、偶像を戒めています。

見えない神様を無理に見ようとするな、と戒めているように思えます。

神様を知り、神様を信じるのに、神様が見えるかどうかが重要なのではない。
むしろ、見えない神様を見えないままに信じなさい。

神様の何を信じるのでしょうか。
神様のみ言葉を信じなさい、というのです。

しかし、み言葉よりも強いものが「情」です。
情は恐ろしい。

エバは堕落したいわけではなかったのに、天使長と情を交わす内に段々と近い情になっていったのです。

それゆえ、復帰していくのに、情によって神様に近づいていかねばなりません。
神様と情を交わす生活が必要になります。

再び講義ノートからです。

「(神様との)心情の因縁」をいかに復帰するか。
神様が伝えたい内容を受け取る心の準備をしているか。
理論から分かろうとするな。

「神様はおられますか?」
「神様に事情がありますか?」

それを心情という内容をもって掴め。

ある時、劉正玉会長が神様の心情を求めて祈っていると、神様の声が臨んだ。

「お前はそれほどに神の心情を知りたいのか? 堕落世界にはそれを知る道がない。どうしても知りたいというのなら、3代続いた一人息子が死んでしまった、その家の父母を訪ねてみよ。それ以外に、神の心情を知る道はない。他には表現する術がない」

この体験をある日、文先生に報告すると、文先生は、
「お前はそのような家を探してみたのか? そのような家を見つけたのか?」
と尋ねられた。

「いえ。そういう家を探すことができませんでした」
とお答えした。

ここまでノートを読み返した時、この講義を聞きながら私が心の中で神様に問いかけたことを、ふと思い出しました。

「神様はご自分の妻を失って以来、どんなふうに過ごしてこられましたか? 神様は妻や子どもに捨てられましたか? 呼んでも呼んでも振り向いてもらえませんでしたか?」

よろしければ1クリック!
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト



kitasendo
Admin:kitasendo