美しい情緒の力
もうだいぶ前に亡くなった、天才数学者、岡潔先生について初めて聞いたのは、大学の先輩からでした。
その先輩は何かの縁で、当時奈良に住んでおられた岡先生を訪ねてお話を伺ったことがあるのです。
話の合いの手に、先輩が、
「宇宙の原理は・・」
などと、聞きかじりの知識を自分で悟ったかのように、つい差し挟んだところ、いろいろな質問に快く答えておられた岡先生が、俄かに恐ろしい剣幕で怒り始めたというのです。
しかもその剣幕が尋常ではない。
あたかも宇宙全体を抱えておられるかのように、全身全霊で怒られる。
人がそれほど真剣に怒る姿を、その先輩は始めて見たと、感慨深く教えてくれました。
岡先生がなぜそれほどまで怒られたのか、その心理は分かりません。
ただ、数学的真理を探し出すのに日夜心血を注いで格闘しておられる先生からみれば、苦労もなしに聞きかじっただけの知識を安易に持ち出す若造の姿勢は、我慢がならなかったのではなかろうかと推察するばかりです。
しかし、それは決して狭量な怒りではなかったと思います。
むしろ、それほどまで真剣に怒ることのできる先生は、「本物の」人間だと感じ、羨ましくさえあったものです。
それ以来、岡先生に関心を抱き、先生の随筆集などを何冊も耽読しました。
文化勲章を受けて天皇陛下から、
「数学はどういうふうに研究するのですか」
と尋ねられた時、
「数学は情緒でします」
と答えたという有名なエピソードがあります。
これだけ聞けば、何だか狐につままれたような答えです。
しかし岡先生の著作を読むと、この
「情緒」
という言葉で人間の本質を表現しておられるということが分かります。
数学に限らず、人間はすべて根本は「情緒」で感じ、判断するというのです。
「何のために数学をするのか」
という(実利的な価値観に基づいた)質問に対して、岡先生は、
「春の野に咲くスミレは、ただスミレらしく咲いているだけでよい」
と答えられました。
この答えがそのままですんなり得心がいくのが「情緒」の働きです。
生意気な若造の一言に全身で怒りを表した姿も、この「情緒」の最も純粋な部分から出てきたものだろうと思います。
岡先生の随筆は、簡潔な文章に非常に深い含蓄があるのでかなり難解なのですが、苦労しながら読むうちに、私は人間の本質というものに何かとても目を開かれた思いがしたものです。
同じ数学者のお茶の水女子大の藤原正彦教授が、
「数学に一番必要なのは論理の力ではなく、美的感受性であり、それは自然や文学、詩歌などに通じるものだ」
と書いています。
これは「情緒」に対する藤原流の説明です。
藤原氏の説で面白いのは、天才を生む三つの風土条件というもの。
世界中の名だたる天才を研究して分かった共通項とは、
① 伝統的に大いなる存在の前に跪く心が存在すること
② 美が身近に豊富にあること
③ 精神性を尊ぶ気風があること
だと言います。
これは私が思うに、「美しい情緒」を作るために有効な条件でもあると思います。
「情緒」は感情、思考、意志の源です。
ですから、美しい情緒からは、美しい感情、美しい思考、美しい意志が出てくるのです。
この3つの内の、少なくとも1つを持っている人を天才と言えるでしょう。
言い方を換えると、美しい情緒を持てば、我々は誰でも天才になれるとも言えます。
「情緒」は、統一原理でいう、
「心情」
というものと重なる部分のある概念だろうと思います。
そうだとすれば、天才を生み出す3つの条件に加えて、もう一つ、
④ 真の愛に満ちた家庭に育つこと
を挙げるべきでしょう。
これが多分、4つの内で最も大切な要素だと思います。
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