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まるくまーる(旧・教育部長の講義日記)

復活の最後のゴール

2012/07/24
原理を学ぶ 0
hand in hand 

この30日間で初めて、文先生の夢を見ました。
もっとも、あまり劇的な夢ではなく、記憶もかなりおぼろげです。

私を含めた数名が文先生のご自宅に伺います。
いろいろなものを見せてくださり、何か与えるのに良いものはないかと探してくださっています。

かなり疲れておられるように見えました。
疲れておられながらも、「なにか良いものを」という心を持って、最大限にもてなしてくださろうとする様子をひしひしと感じました。

私も何か慰労してお返ししなければと思うのですが、どうもなかなか良いものが見つからない。
何だか、本当に今の私の現状をそのまま表すような夢でした。

☆☆☆

この30日教育に、夫婦で参加している方が何組があるようです。
今朝、宿舎から講義室に向かう時、手をつないで歩いているご夫婦を見ました。
その時、夫婦の間にさしたる対話はなかったのですが、後ろから見ていて、とても麗しく感じられたのです。

文亨進世界会長のお話を思い出しました。

夫婦はいつも手をつないでいなければなりません。それは仲が良いところを見せるためではなく、夫婦の間にサタンが侵入するわずかな隙間も作らないためです。

このように考えながら夫婦が生きていくことこそ、原理本体論だなあと思います。

私たちの生命も人生も、私自身がデザインしたものではありません。
すべての基本は、神様が先惟されて出てきたのです。

神様の中にある絶対性に似て、夫婦が限りなく一つに溶け合うように愛する。
これは私たちの欲望である前に、神様の先惟であり、願望なのです。

それに合わせるためには、私たち夫婦の間にいかなる「非神的」なものも混入しないように生きる。
それが私たちの人生哲学であるべきであり、その哲学の基が原理本体論です。

これまで私たちは、復活の原則について、
「神様のみ言を信じて、実践する」
と学んできました。

それは間違いではないのですが、その先にあるものをあまり意識しなかった。

「神様のみ言を信じて、実践して、本体である神様に似る

この最後のゴールが重要だったのです。

「神様に似る」とは、生霊体を完成するということでもあり、夫婦の生殖器を中心として神様と一つになって暮らすということでもあります。

これまで、「神様の直接主管圏とは何か」ということが漠然としていました。
夫婦が生殖器を中心に「初愛」を交わす一点をもって、間接主管圏から直接主管圏へ、サナギが蝶に変わるようにまったく違う姿に変貌するのです。

《補記》
もっとも、これは堕落と関係のない純粋な本体論の世界です。

私も頭では「本体論とは何か」ということが徐々に分かってきたような気がします。
しかし、本体論に入っていく際、最も難しいのが情念の世界だということにも気づいてきました。
特に、絶対性の「性」にまつわる情念です。

本体論で言う「絶対性」ということが頭では類推できても、私の情念では共感することが難しいのです。


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